おいでませ平行世界? [1]
はじまりは、些細なことだった。
「わっ……!?」
踏み台を使ってかろうじて届く位置にあった本を取ろうとして、一人の少女がバランスを崩す。
そのまま手にした本諸共、床の上へと落ちた。
「いったー……」
尻と頭をしたたかに打ちつけ、じんじんとした痛みには顔をしかめた。
なんてマンガっぽいドジをやらかしたんだろう。
誰も見ていなくてよかった。
「おい、どうした?」
本棚の影からやや面倒くさそうな声がかかる。
「あー、ごめんごめん。うるさかったよね。ちょっとドジしただけだから気にしないで」
そう答えつつ、はどうにか立ち上がった。
痛みはまだ取れない。痣になったらどうしよう、何かあったらまともに動けるだろうか。
そんなことを考えながら痛むところをさすっていると、不審そうな顔でこちらを見ているネスティに気づいた。
「何? いくら読書の邪魔しちゃったからって、そんなに怒らなくても……」
「誰だ、君は?」
「は?」
侵入者でも見つけたかのような顔と声色のネスティに、は思わず間の抜けた声を上げた。
「ちょっと、何言ってんのよネス? まだぼけるには早いでしょ?」
「もう一度聞く。君は誰だ? どこから入ってきた?」
「……ネス?」
バリバリに警戒されている。不審人物扱いだ。
しかも「君は誰だ」ときた。付き合いも長くなってきた旅の仲間に。
じわじわと怒りがこみ上げてくる。
「冗談言ってんじゃないわよ!! 誰だはないでしょ、一応仲間なのに!!」
「仲間?」
冷ややかな目は、変わらずを射抜いている。
そこへ、
「おーい、ネス。さっきの話だけどさ……」
やって来たマグナが、言葉を途中で止めた。
しばらく不思議そうにを見た後、やはり彼もぽつりと「君、誰?」と言った。
「もーっ、マグナまでフォルテみたいな冗談言わないでよっ」
そう叫んだとたん、二人は固まった。
「なんで俺やフォルテの名前知ってるんだよ?」
「だーかーらー、冗談もどっきりもやめてってばっ!!」
だが、マグナもネスティも困惑を深くするばかりだった。
「……ルヴァイドにイオスでしょ、そこの二人がギブソン・ジラールとミモザ・ロランジェ。なんなら所属している派閥とかもつけるけど……ねえ、いいかげんにしてくれない?」
応接室に文字通り「連行」され、待っていたのは知らない人間を見るような仲間の目だった。
半ばやけくそで全員の名前を言ったら、驚かれる始末。
一体何だというのだ。
「……お前らの関係者とかじゃねえのか?」
「いや、まったく心当たりがない」
「メルギトスの仲間とか……」
「あいつの部下にしちゃまともすぎる気がするが……」
……なんだか、ずいぶんと勝手なことを言われている気がする。
というか、なぜマグナ達にここまで言われないといけないのだろうか。
「メルギトスで思い出したけど、はどこ行ったの?」
「あ、そういえば。書庫に行ったんじゃなかったのか?」
「ああ、確かにいたんだが……そういえば、彼女を見つける前に本を取りに行ってから見てないな」
誰だ、それは?
彼らの口から出てきた初の名前に、今度はが首をひねる番だった。
「……って、誰?」
問いかけると、また全員に怪訝そうな顔をされた。
「俺達のことは知ってるのに、のことだけ知らないのか?」
「知らないよ、誰それ? そんな人仲間にはいな……」
言いかけて、ふと気づく。
「……トリスやハサハ達は? 出かけてるの?」
いつもなら必ずといっていいほどこの輪に加わっている彼女達は、どこにも見当たらない。
トリスや彼女の護衛獣達はともかく、ハサハやレオルドが主から離れて行動することなんてかなり少ないはずなのだが。
しばしの沈黙の後。
『……誰(だ)(ですか)、それ?』
真顔で問い返されて、は困惑した。
やはり、なにかが変だ。
「えーっと……ここ、リィンバウムのゼラムだよね?」
誰か冗談だとか、実はエイプリルフールだとか言ってくれ。
しかしの願いもむなしく、望んだ言葉は誰の口からも出てこなかった。
「なんか、信じられないような話だな……」
話を聞き終わったマグナが、呆然とつぶやく。
そりゃそうでしょうよ。こっちだって信じられないし。
出そうになった言葉を、はかろうじて飲み込んだ。
このままじゃ埒が明かないからと、意を決して自分のことを話したものの。
この様子じゃ信じてくれないかもなあ、という思いもどこかにあった。
これが自分の話じゃなかったら、ファンタジー小説か何かだと思うだろう。
「しかし、大筋は僕達の旅と同じだ。これはどういうことだ……?」
「だから私は、マグナ達と旅してたんだってば」
でもねえ、とミモザが言う。
「あなたの言うトリスって子に、私達は本当に心当たりがないのよ。ラウル様が引き取ったのはネスティとマグナだけだし。話を聞く限りじゃマグナの護衛獣も違ってるみたいだし」
「でも……」
だとしたら、今までの旅は何だというのか。
「ひょっとして……パラレルワールド、ってやつか?」
「ぱられるわーるど?」
レナードの発言に、何人かが怪しい発音で問い返した。
「まあ、わかりやすく言えばだ。この嬢ちゃんは、こことは違うリィンバウムから来たかも知れねえ、ってことだ」
「……よくわからないんだけど」
「確かね……可能性の数だけ世界が存在する、っていうのがパラレルワールドの考え方なんだよ。例えばマグナがフォルテ達と会わずにネスと見聞の旅を続けている世界とか、マグナとネスが会ってない世界とか、そもそもマグナが存在していない世界とか」
以前にどこかで得た知識を引っ張り出してが説明すると、どうにかほぼ全員が理解したらしい。
「つまり、彼女がいた世界はさんの代わりに彼女が召喚された世界だ、と。そういうことですね」
「まあ、そうなるわな」
ロッカの確認にうなずくレナード。
だがしかし。
「……それはいいんだけど、私どうやったら元の世界……っていうか、リィンバウムに帰れるの?」
「…………さあ」
根本的な解決にはなってなかった。
一方。
「きゃあっ……!?」
「うわっ!?」
踏み台から足を滑らせたは、そのまま床へと落下……しなかった。
誰かの腕に、しっかりと受け止められる。
「びっくりしたぁ……あ、ありがとマグナ……」
自分を支えている腕に見慣れたガントレットを見つけて、は振り向かずに礼を言った。
「え?」
困惑した声が背後から返ってきたが、は気にせず体勢を直す。
「はあーっ、やっぱりきつかったかな……」
本はどうにか取れたが、今度から上段の本は誰かに頼んで取ってもらうことにしよう。
そう思いつつ振り返ると……呆然とした顔のマグナと目が合った。
「ん? どうしたのマグ」
「君、誰?」
自分の言葉を遮っての質問に、は思わず「は?」と声を漏らした。
「誰って……ちょっと、どうしたのマグナ?」
「え、なんで君俺の名前を……」
「あ、なんだそこにいたんだマグナ……」
突然加わった新たな声に、そちらを見れば。
「……誰、その子?」
マグナと似た服を着た短い髪の少女が、不思議そうにを見つめていた。
「誰って言われても……俺もわからないんだよ。さっきまでだったんだけど、いつのまにかこの子になってて」
「はい?」
訳のわからないマグナの説明に、少女はますます困惑顔になった。
「ねえマグナ、その子誰?」
尋ねると、マグナと少女は顔を見合わせた。
「知り合いじゃないの? マグナのこと知ってるみたいだし」
「んなわけないだろ。初対面だよ、ホントに」
「初対面って……何言ってるの? 自分で召喚しておいて」
『ええ―――っ!?』
二つの声がぴったり重なる。
「ちょっとマグナ、いつの間に……」
「だから知らないって! いくらなんでも自分で召喚したなら覚えてるよ!!」
「おい、さっきから何騒いでるんだ?」
「おにいちゃん、どうしたの……?」
「あるじ殿、ドウサレマシタカ?」
騒がれて気になったのか、屋敷にいた者達が次第に集まってくる。
そして、全員がに不思議そうな視線を向けた。
「マグナ……いくらなんでもいきなり彼女を連れ込むのはまずいだろ」
「ちが――うっ!」
「照れるな照れるな、青春とはかくあるべきだ、うんうん」
「あんたと一緒にするなっ!」
勝手に進むフォルテの話は、いつもどおりケイナの裏拳で強制終了した。
はあ、とネスティはため息ひとつついてに向き直った。
「……それで、結局君は何者なんだ? マグナのことを知っているようだが……」
「え? ネスティまでどうしたのよ?」
の反応に、ネスティはさらに不審そうに眉をひそめたが。
まあまあ、とアメルがなだめるように言った。
「だめですよネスティさん、そんな顔していちゃ怖がらせるだけじゃないですか」
「しかし……」
「まずはお話を聞いてみましょう。ね?」
はそんな二人のやり取りを、奇妙なもののように見ていた。
彼女の知るアメルは、話し合いなんてものはまずやらない。
少なくとも、ネスティに諭すような言い方をしたりはしない。
「ええと……本当にアメル? そっくりさんとかじゃなくて?」
だから、ついこんなことを訊いてしまうのも無理はない。
再び不思議そうな視線が、に注がれる。
「……一体、何がどうなってるの?」
その問いに答える者は、誰もいなかった。
「……それじゃ、この子はリィンバウムであってリィンバウムじゃない世界から来たって言うの?」
「多分ね」
屋敷中の人間(そうでないのも混ざっているが)を集めての事情説明の後。
もしかしたら、とパラレルワールドの説明をしたのがトウヤだった。
確かにそう考えれば、の話もある程度のつじつまは合う。
「だとしても、なんでこんなことになったんだ?」
わからん、というようにフォルテが首をひねった。
それなんだけどとマグナが口を開く。
「、上の方の本を取ろうとして踏み台から落ちたんだ。だから俺、すぐ駆けつけて支えたんだけど、その時にはこの子……になってて」
「あたしも本を取ろうとして、踏み台から落ちたの」
そして気がついたら、を知らないマグナが彼女を支えていた。
がそう説明したところ、全員が渋い表情を作った。
「多分それが原因だろうな」
「他になさそうだしね」
「ってことは、がこの子の世界に行っちゃってるかもしれないってことだよね。大丈夫かな……」
「あっ、それならもう一回踏み台から落ちてもらえば……」
「でも、もそれを同時にやらないと意味ないんじゃないのか?」
「あ、そうかも……」
うーん。
そんなうなり声が聞こえてきそうな空気だった。
どがた――ん!!
「いたた……」
ゆっくりとが身を起こす。
ダメ元で事の起こりを再現してみたものの、マグナ達の様子はいまだに変化がない。
ちなみにこれで四回目だ。
「ダメみたい……どうしよう……」
「意地でも、根性で戻るんです!!」
アメルに力説され、は少したじろいだ。
マンガなら目と背景に炎が入ってそうな感じだ。
「こうしている間にも、あたしのさんが別の世界のマグナやロッカやネスティやその他諸々の毒牙にっ……冗談じゃないです!! なんとしてでも保護しないとっ!!」
「毒牙って……別にマグナ達はそんなこと……」
「さあファイトですさん、気合でさんを呼び戻してください!!」
「無茶言わないで……っていうか、どこでファイトなんて言葉知ったのよアメル……」
助けを求めるように周囲を見ても、力なく首を振られたり、ごめんとばかりに頭を下げられたり。
(もしかして、メルギトスに狙われる以上にやばいことになってるんじゃ……)
気づいたところで後の祭りだが。
(誰かぁっ、助けて―――っ!!)
そして地獄の踏み台落下実験(命名)は、見かねたミモザに説得されたアメルが諦めるまで十回ほど続いたのだった。
ついにやってしまいました、長編と「前途」混合です。
ネタを思いついたときから、これは記念小説にしようと決めていたので。
しかしもちろんこの組み合わせ、ただで終わるわけありません。
さあ、正反対の世界でドリ主たちを待つものは!?
2004.4.16