おいでませ平行世界? [2]


 ちちち、ちゅんちゅん。
 鳴き声に目を開けると、朝の日差しが穏やかに差し込んでいた。
 目をこすりながら、はむくりと身を起こす。
 今日も平穏な朝……

 「害虫滅殺―――っ!!」
 続いてちゅどーん、ぎょりぎょりと音。
 近所どころか街中の迷惑になりそうなそれは、しばらく続き、そして唐突にやんだ。
 後には不気味なほどの静寂。

 「……寝なおすかな……」
 彼女は……表面上は何事もなかったかのように……掛け布団に潜り込んだ。





 「おはよー」
 「あ、おはよう」
 寝なおそうがどうしようが、やっぱり夢なんかではなかった。
 見慣れた顔が、少しぎこちなく挨拶を返す。
 仲良くなった彼らとは違うとはいえ、やっぱりきついよなあとは思った。

 「……あれ? ネスとアメルは?」
 の世界では真っ先に応接室にいそうな二人が、なぜか見当たらない。
 テーブルに存在するべき朝食がまだないことも、物足りなさを増幅する。

 「いや、結局君が帰る……って言うか、をこっちに戻すのに失敗しただろ?」
 どんよりした口調でマグナ。
 やけに冴えない顔は、寝起きのせいだけではなさそうだ。
 「で、ネスが他に方法がないか調べてみるって言っちゃったものだから……アメルの矛先がそっちに行ったみたいで。なにがなんでも見つけ出せーって」
 「あはは……」
 は乾いた笑いをあげた。
 昨日のことを考えると、ありえる話だ。

 「で、朝ごはんもまだなんだ?」
 「うん。本当ならアメルとの当番なんだけど……」
 、のあたりでマグナの表情がわずかに曇る。

 「……わかった。なら代わりに私がやるってことで」
 「え、でも……」
 「大丈夫、食事当番なら私達もやってたし。迷惑かけといて何もしないってのもなんだし。まかせて」
 昨日の夕食光景を見る限り、食べ物の好みは全員元の世界の「彼ら」と同じようだから問題ないだろう。
 それに、何かしていた方が気がまぎれる。

 「それじゃ、台所借りまーす」
 家主のギブソンとミモザに一応の断りを入れると、は足を台所へと向けた。







 「おはよう、みんな」
 笑顔で応接室に入ってきたに全員怪訝そうな顔を向けたが、すぐに「あ、そうか」と表情を緩めた。
 結局この少女を元の世界に戻すことも、をこちらの世界に戻すこともできないまま一夜が明けていた。

 「よかった、元気そうね。てっきり不安で眠れないかと思ってたんだけど」
 ケイナがそう言うと、は曖昧な表情を浮かべた。
 「うん、まあ……久しぶりに平和な環境で眠れたし」
 どんな環境だったんだよ。
 と、顔には出たものの口に出す者は皆無だった。

 「みなさん、そろそろできますけど……あら、マグナとトリスはまだ起きてきてないんですか?」
 台所からパンを運んできたアメルが、集まっている面々を見て言った。
 言われてみれば、確かにいない。

 「まったく、毎朝毎朝……」
 ネスティがため息をつきながら、さっさと応接室を出て行く。
 「あ……」
 が何か言いたそうに手を伸ばしかけて……結局黙り込んだ。

 「さん? どうかしたんですか?」
 アメルと入れ替わるようにしてサラダを持ってきたレシィが心配そうに尋ねれば、
 「え? あ、ううん。なんでもないの」
 その割にはどこか寂しそうな笑みを浮かべながら答える
 開け放したドアの向こうからは、マグナの名を呼ぶネスティの怒鳴り声が聞こえてきた。





 「おかわり!」
 「はい、少し待っていてください」
 「マグナ、口をちゃんと拭け。汚れているぞ」

 のどかな朝食風景がそこにはあった。
 にぎやかで、楽しくて、優しい場所。
 でも……どこか遠い。
 それは、やはり……

 「あの、さん。お口に合いませんでした?」
 「え?」
 アメルの言葉に我に返る。
 もうほとんど全員が食事を終えて席を立ち始めていた。
 の前にだけ、パンと冷めたスープがある。

 「あ……ごめん、ぼーっとしてて」
 笑ってごまかしたが、うまく笑えていないだろう。
 アメル以外にも、心配そうな視線を注いでいる人がいるから。

 急いで食べるから、とだけ言って目の前の食物を口の中へと入れ始める。
 「あっちの」アメルが作っているのと同じはずのパンが、ぜんぜん違うもののような味に感じた。







 オープンサンドとポトフ。
 手早く作れて量のできるもの、ということでが選んだものがそれだった。
 具も誰かしら食べるようなものを選んだので、あまり残りはしないだろう。

 全員が食べ始めたのを確認すると、はオープンサンドをいくつか大きめの皿に乗せた。
 ポトフ二皿と一緒にトレイに乗せると、それを持って立ち上がる。
 「? どこ行くんだよ」
 気づいたマグナが問いかけた。
 「ネスとアメルに持っていこうかと思って。ほっといたら当分書庫にカンヅメになってそうだし」
 「……確かに」
 マグナが苦笑いする。
 じゃよろしくと短く言うと、彼は怒涛の勢いで減っていくパンを確保すべく手を伸ばした。





 「お、いたいた」
 書庫の読書用スペース、小さなテーブルと椅子のある所にネスティとアメルの姿があった。
 「朝ごはん持ってきたわよ、お二人さん」
 の声に二人が顔を上げた。
 アメルはともかく、ネスティは寝ていなかったのだろう。目の下にうっすらと隈がある。

 「……ああ、君か」
 「その様子じゃやっぱり徹夜してたか。とりあえず休憩しなよ、疲れてたら能率下がるから」
 言いながら空いた手でネスティの前に積まれた本を横へと押しやり、代わりにパンとスープの乗ったトレイをそこに置く。

 「しかし……」
 「本当なら」
 何か言いかけたネスティを、しかしその内容を大体予想できたは言葉で遮った。
 ネスティの方を向きながら続ける。
 「無理やりにでも寝かせたいとこなんだけど、多分私がそっちの立場でも同じことしてただろうから。だからやめろとは言わないよ。でも、無理はしないで」
 「…………」

 ネスティはしばらく不思議そうな表情を浮かべていたが。
 「……平気そうだな」
 「え?」
 「突然こんなことになって、一番戸惑っているのは君だろう。なのにどうして……」

 は少し考えてから口を開いた。
 「まあ、確かに早く戻りたいけど。試せる手は全部試して結局帰れなかったから。だったら帰れるまでこっちでも何とかやってくしかないでしょ」
 実を言えば踏み台落下実験が失敗に終わった後、他にもこっそり試してはみたのだ。
 相棒の力を当てにしてみたり、マンガなどで出てきた手段を実行してみたり。
 結果はどうだったかは言うまでもないことだが。

 「これまでだって、とんでもない目に遭ってきたけどなんとかなったし。なら今回もそうだって思って、帰る方法探すことにするよ」
 実際思いもしなかった状況だが、なぜか焦りはなかった。
 単にそういう状況に慣れてしまったからかもしれないが。

 「そーいうわけなんで。こっちとしてもできる限りのことはしますので、帰れるまではお世話になります」
 ぺこりと頭を下げる。
 同じ顔でも一応は初対面だし、パーティの最高権力者(?)はアメルのようだから別に筋違いでもないだろう。
 アメルもネスティも、戸惑ったように「はあ」と返した。

 「さて、と。私もごはんまだだからそろそろ行くけど、食べ終わったら食器まとめておいてね。後でかたすから」
 そう締めくくると、はネスティ達に背を向けた。
 いいかげん空腹に耐えられなくなってきたので、やや急ぎ足気味で歩き出す。

 「!」
 背後から、ネスティの声が飛んできた。
 「何?」
 何かまずいことでも言っちゃったかなと思いつつ振り向くと、「あ、いや……」とネスティにしては歯切れの悪い反応が返ってくる。

 「方法が見つかったら、君には一番先に知らせる。だから……」
 「……うん、気長に待ってる。だから無理しないで……って、これ二回目だね」
 本当は違う理由で呼び止めたのかもしれない。
 だがなんとなく尋ねることもできずに、そのまま返事をして。
 今度こそ、は書庫を後にした。





 『……それで、まじめな話どうするつもり?』
 書庫から数歩歩いたところで、内側からの声が話しかけてきた。
 「そうなんだよね……思いつくものは全部試しちゃったし、さてどうするかな……」

 調べているネスティには悪いが、召喚術でパラレルワールドに移動できるとは思えない。
 かといって自分にできることもたかが知れているし、「元の」リィンバウムに行ってしまったのことも考えるとずっとのんびり構えているわけにもいかない。

 『……相談してみたら?』
 「誰に?」
 『いるじゃない、こういうことでもなんとかしてくれそうな人が』

 だから誰、と問う前に該当人物が思い浮かび、は少し苦い顔になった。
 「あの人か……」
 『少なくともこのままよりはいいと思うけど』
 「……確かにそうだけどね」

 ため息一つつくと、は応接室へと戻る。
 準備も必要だが、まずは腹ごしらえだ。







 「あの、ミモザさん? 大事な話ってなんですか?」
 茶を口に運びながら、が戸惑いがちに問いかける。
 はじめは何かわかったのかと思ったのだが、なぜかこの場にいるのは女性陣だけだ。

 「話っていうか、訊きたいことなんだけどね……」
 言いつつ、にやりと笑うミモザ。
 トリスがわずかに表情を引きつらせた。
 この先輩がこういう顔するときは、たいてい何かを企んでいる時だ。

 「マグナのどこに惚れたのかなーって」
 ぷうっ!
 は思わず、含んだばかりの茶を吹き出した。

 「なっ、な!? 何言い出すんですかミモザさんっ!?」
 「だって、あなた見てればわかるわよ。昨日もさっきも、マグナの方ばっかりちらちら見ていたじゃない」
 「それはその、やっぱりあたしの知ってるマグナと違うんだなって思って……」
 「いーえ、それだけじゃないでしょう? あなたのその視線には、隠された乙女の想いも混ざってると見たわ」
 はっきりきっぱり断言するミモザ。
 じゃなくて、それはその、としどろもどろに言うを少しの間面白そうに見つめていたが、ふっとその笑みをしまった。

 「確か、あなたはあっちのマグナに呼ばれて、そのまま護衛獣やってるって言ってたわよね」
 「あ、はい……」
 「細かい違いはわかんないけど、多分あの子のことだから事故で呼んじゃった責任だって色々世話焼いたんじゃない?」
 「はい、それは……あたし最初は戦えなかったからマグナに守ってもらってばかりだったし、よく弱気になってたからしょっちゅう励ましてもらってたし……」
 答える声が、ぼそぼそと小さくなっていく。

 「で、ちゃんとしてはマグナのこと、どう思っているわけ?」
 「えと……普段はのんびりしているというか、あたしから見ても危なっかしいとこもあるとは思いますけど……でも、時々すごく頼りがいがある顔になる時があるんです」
 あーなんかわかるかも、と誰かがつぶやく。
 ついでに何人かうなずいていたりもする。

 「自分が間違ってるって思うことには立ち向かっていって……多分、あたしはそんな姿に憧れているんだと思います。そういうマグナだからこそ、少しでも力になりたいんです」
 そう締めくくり、がうつむきがちだった視線を上げると……

 「わかります……わかりますよ、その気持ち!!」
 手を祈るように組み、瞳は星のごとくきらめき。
 感極まった様子のアメルに、は少し退いた。

 「いやー、青春ですねえ♪ 応援したくなってきちゃいましたよ」
 パッフェルの言葉を皮切りに「そうね」「私も」と同意の輪が広がっていく。
 いやだからそうではなくて、とは弁解しようとするが……もはや誰も聞いていない。

 「そうと決まれば、早速始めるわよ! 名づけて、『ちゃんの恋を応援しよう大作戦』!!」
 まんまなネーミングだが、盛り上がる彼女達にはすでにそんなものはどうでもいいらしい。
 きゃいきゃいと『いかにしてとマグナの仲を取り持つか』、さまざまな案が出されていく。

 「……なんでこうなるの……?」
 本人はそっちのけで。







 べりっ、と書庫に音が響く。
 ぎょっとして、ネスティは思わず手を止めた。

 「なんだか、今すごく腹が立ったわ……」
 「そ、そうか……ところで、本……」
 右と左、アメルの読んでいた本は背表紙から真っ二つに裂き別れとなっていた。
 ネスティの言葉に、アメルは今気づいたように元・本を見る。
 そして絶叫した。

 「あ―――っ、『天使様が見守ってる』の最新刊が―――っ!!」
 「……なんだその天使様とかいうのは」
 「ネスティさん、知らないんですか!? 今巷で大人気の、ゼラムで売り上げ第一位のあの小説を!」
 「いや、僕は小説はあまり……どういう内容なんだ、一体」

 とりあえず、アメルの手から本だったものの片割れを取る。
 露になっている1ページにざっと目を通し……

 「……アメル」
 「なんですか?」
 「どうして登場人物の一部が君との名前に書き換えてあるんだ……?」
 おそらく主人公と重要人物であろう、やたらに数多く登場する名前は二本線で消してあった。
 その上に「」もしくは「アメル」と書き添えてある。

 「ネスティさんってば夢がないですね。このお話、本当に素敵なんですよ? 愛し合っていながら周囲に引き裂かれる二人、だけど多くの困難を乗り越えて絆を深めていく、悲しくも美しい物語……まさにあたしとさんそのものじゃないですか!! ああ、あたし達もこんなすばらしい恋愛をしてみたいです……!!」
 「…………」
 ツッコミどころは満載だったが、下手なことを言えば命はない。
 ため息をつきつつ視線をページに戻すと、ネスティの目に一つの文章が留まった。


  『「ありがとうございます、お姉さま」はアメルに微笑みかけた。』


 ……年下のアメルが「お姉さま」の時点ですでに実現不可能。


まだ続くのです


back

で、こうなりました。
ミモザ、格好の退屈しのぎ……もとい、応援相手を見つけて大喜びです。
オチはやはり彼女で。
ちなみに、某小説を読んだことはないです。タイトル借りただけですのでツッコミ却下。

2004.5.3