キス騒動。
王子様になりたくて
コンコン、とノックの音が響く。
返事がないことを確認すると、マグナはドアを開けて中に入った。
元々客用に用意されていたらしいその部屋には、机とベッドだけ。
そのベッドに、一人の少女が横たわっていた。
「……」
スルゼン砦での出来事から二日目。
かなりの魔力を消耗したのか、は倒れたきり目を覚まさない。
一緒に倒れてしまったアメルはしばらくして目を覚ましたものの、風邪をひいてしまった。そのため、手の空いた者が二人の世話をするということになったのだ。
とはいえ、は眠ったままなので様子を見るぐらいしかできなかったが。
王子の口づけで永い眠りから覚める姫。そんな物語を聞いたのはいつのことだっただろう?
なんとなくそんなことを思い出したら、二人の人物がマグナの脳裏に浮かんだ。
の手の甲にキスした(片方は未遂だったが)男達。
なんだかちょっといらついた。
だが、顔を真っ赤にしたを思い出す。
(やっぱり、女の子ってああいうことされると嬉しいものなのかな?)
そう思うと無性に気になってしまう。
ベッドの中を探ってみると、目的のものはすぐに見つかった。
そっと引っ張ると、何の抵抗もなくの腕が出てくる。
いつもの様子からは想像できないくらい頼りなく、華奢で。
マグナはしばらく見入ってしまった。
どきどきする。
まるで操り人形になってしまったかのように、何かに突き動かされようとしている。
(どうしよう……)
(何か、寝込みを襲ってるみたいだな……)
(ダメだ、そんな卑怯な真似)
(でも、今がチャンスなんじゃないか?)
(だけど)
(いいのか?)
(かまわないさ。やっぱりやめよう)
(本当に?)
(え?)
(ちょっとくらいなら平気だって。ひどいことするわけじゃなし)
(大丈夫、かな……)
(そうだって!!)
抵抗していた自分は見事に折れた。
ゆっくりと、の手の甲と自分の顔を近づけてゆく。
唇が触れるまでもう少し。
「マグナ?」
「うわあっ!!」
いきなり名前を呼ばれて、マグナは思わずの手を離してしまった。
力の抜けた腕は、勢いよくベッドの上に落ちる。
「……何やってるの?」
やはり様子を見に来たらしいトリスは、珍しい物でも見るかのような目をしていた。
ふと、放り出されたの腕に気づく。
次に、顔が赤いマグナを見つめた。
「……もしかして……イオスとレイムさんのこと、まだ気にしてたの?」
「う……」
言葉に詰まるマグナ。トリスはそれを肯定と受け取った。
伊達に兄妹同然に育っていない。
「気持ちはわかるけど……マグナ」
「ん?」
「マグナじゃ、多分それ……似合わないと思うよ」
ぐっさりと、その一言は強烈に突き刺さった。
「騒がしいぞ、マグナ」
「どうしたんだよ、大声出して」
うんざりした顔をして、ネスティとフォルテが入ってきた。
マグナはそんな二人をじー…と見つめる。
「……?」
「なんだよ?」
「……あのさあ、ネス、フォルテ」
「なんだ?」
しばらくマグナはなにやら考え込んだ後、意を決したように口を開いた。
「女の子の手の甲にキスする真似、してみてくれない?」
ごんっ!!
ネスティは思い切り壁に頭をぶつけた。
フォルテは「はあ?」と言いたげな顔をしている。
「な……何を言い出すんだ君は!?」
ぶつけた頭を押さえながらネスティ。
「あー……やってあげてよ。そうしないと納得しそうにないから」
ため息をつきながらトリスが言った。
「まったく……」
ぼやきながらネスティは、片膝をついて手を取る真似をした。
「あーっ、ちょっと待った」
「今度はなんだ?」
言った本人に遮られ、ネスティはさらに不服そうな顔になる。
「トリス、手の役だけやってくれよ」
『はあ!?』
トリスとネスティ、二人の声がハモる。
「本当にキスしなくていいから。寸止めで」
「……しょうがないなあ」
そういう問題ではない、とネスティが言う前に話は進む。
さあどうぞと言わんばかりに、トリスの手がネスティの前に差し出された。
ちらりと見たが、マグナは真剣そうに、フォルテは面白そうにこちらを見るだけ。
他の者が通りがかる気配もなし。救援は期待できそうにない。
(……やればいいんだろう、やれば)
それに真似だけでいいと言っているわけだから、そんなに深刻に考えなくてもよいのでは?
ごくりと唾を飲み込むと、ネスティはトリスの手を取った。
目を細め、トリスの手の甲と自分の口を近づけ……触れあう寸前で止める。
「うわー……ネス、様になってる……」
そう言いながらも、(これは確かに恥ずかしいかも……)と思い、トリスの顔は少し赤くなった。
「……じゃ、次フォルテ」
マグナは少しすねたような顔をしながら言った。
はー……と息をつきながらネスティがトリスから離れ、代わりにフォルテがその位置に行く。
こちらはためらうことなくトリスの手を取ると、
「これでいかがです、姫?」
そう言いながら、トリスの手の甲と自分の口を触れあう寸前まで持っていく。
「……割と似合ってるかも。意外」
やはり恥ずかしく思う一方で、トリスは感心して言った。
「えーっ!? なんで俺だけ似合わないんだよ!?」
「だって……マグナって女の子にかしずくというより、お友達感覚で対等につきあいそうなんだもの」
とどめの一発をくらい、マグナはがっくりと肩を落とした。
「どうりで、妙なことを言い出すと思えば……」
「その様子だと……女絡みだろ?」
ようやく納得がいったらしいネスティとフォルテ。
かたや呆れたように、かたやにやにや顔でマグナを見る。
「ひょっとして……この前の吟遊詩人がやったあれのせいか?」
「……正解」
トリスが一言答えた。
ふう、とフォルテはため息一つつき。
「相手が誰かは知らねーが、いきなりそんなことやってもひくだけなんじゃねーか?」
「で、でも……」
「なあマグナ。お前なりのやり方でやってみろよ。その方が絶対喜ぶって」
なぜ断言するのか。
そう思ったネスティだったが、弟弟子の表情が少し明るくなったのに気づいて口をつぐむ。
「俺なりの、やり方……?」
「下手なことやるより、自然にやればいいんだよ。相手に対してどうしたいのかを、な」
「それで……いいのかな……?」
「ああ」
「うん、わかった。……ありがとう」
ネスティとトリスがやれやれというように苦笑する。
こうしてマグナの「キス問題」は解決したのである。
その翌日、は目覚めた。
でも、なぜか泣き出してしまって。
「あたし、水持ってくる。ついでにみんなに知らせてくるから」
トリスが部屋を出ていく。残ったのはマグナとだけ。
(どうしよう……)
慰めるべきなのだろうが、原因がわからないので実行に移せない。
ハンカチを渡そうにも、それらしいものはあいにく手元になかった。
『自然にやればいいんだよ。相手に対してどうしたいのかを、な』
(俺は、どうしたい……?)
考えてみたら、昔の思い出が出てきた。
いじめられて泣いていたトリスに、昔よくやっていたこと。
あの時とは何もかもが違うけど、でも。
マグナはしっかりとを抱きしめた。
少し驚いたらしく、がぴくりと震える。
「……俺でよければ、胸、貸すよ」
もしかしたら言い訳のように聞こえたかもしれない。
嫌がられたらどうしよう。そんな不安が頭をもたげる。
「……ごめんね」
はか細い声でそれだけ言った。
それきりしゃくり声だけが続く。
胸元が涙で濡れていく。
それでもマグナはその腕をゆるめなかった。
腕の中の少女を、何かから守るかのように。
その時、ドアの外では。
「案外やるじゃねーか、マグナも」
「青春だねぇ……」
「…………(むかっ)」
「アメル、君は病気なんだから戻った方が……」
「戻りますよ、これが終わったら。……うふふ、面白くなってきましたねミニスちゃん?」
「うん」
「いいのかなあ、こんなことしてて……」
……出歯亀が群れていた。
余談だが。
フォルテはその後、アメル達から全てを聞いた。
「よし、俺はマグナを応援させてもらうぜ!!」
「景品は何にします?フォルテさん」
「酒一本。……あ、全員で一本でいいからな」
「はい、わかりました」
こうして「のお相手は誰だダービー」は新たな参加者を迎えたのだった。
別名「若きマグナの悩み」(笑)
第22話の背景には、こういうことがあったのですよ。
オチ大王気味なフォルテも今回はいい味だしてます。
でも一番気に入ってるのは、似合わないことを真剣に悩んでいるマグナだったりします。