第30話
第30話 一難去る前にまた一難
外が騒がしくなってきたな。
彼は、薄れていく意識の中でぼんやりと思った。
言い争うような声。その中には彼の上官や、この砦を壊滅状態にした召喚師のものも混じっている。
だが、その結果を知ることはない。死が間近に来ていることはわかっているから。
実家にいるはずの家族に詫びる。すまないな、もう戻れない……
「命司りし乙女、慈愛の聖母よ、傷つき倒れし者に祝福の聖光を……」
不意に、女の声が聞こえた。
とうとう迎えが来たか。信じていなかったが、こういうのも悪くはないかもしれない。
光に包まれる。とてもあたたかい。痛みも徐々に薄れて…
「……!?」
はっきりしていく視界の中で、彼は見た。
光をまとった女性が、優しく微笑んでいる。
それは人にあらざるもの。召喚術によってのみ、その姿を現す存在。
「もういいよ。ありがとう」
女の声に頷くと、女性は幻のように透けてゆき、消えた。
視線を転ずると、仮面をつけた顔があった。
見覚えがある。確か、デグレア軍にいた人間だ。
一人だけ白い仮面をつけていたので覚えていたのだが……
(女、だったのか……)
やけに場違いなことを思い、心の中で苦笑した。
だが、安心してもいられない。
「……なぜ助けた?」
デグレア軍ということは、あの召喚師の仲間と思って間違いない。
しかし、仮面の女は苦笑しただけだった。
なんとか身を起こすと、激痛が全身に走った。
命は取り留めたものの、肉体が完全に回復したというわけではないらしい。
が、じっとしているわけにもいかない。
「動かない方がいいよ。あくまで応急処置だから」
「わかって、いる……っ、だが、シャムロック様が、砦が……領主様にも、知らせないと……」
トライドラの危機に、騎士たる自分が何もしないでどうする。
せめて、トライドラにこのことを……
「ダメよ」
仮面の女は言った。固く、冷たい声だった。
彼のことを案じてか、それとも敵として行かせないのか。
だが、次の言葉は予想を大きく裏切っていた。
「トライドラは危険だ。もう、近づかない方がいい」
一瞬、言われたことが理解できなかった。
トライドラは危険。それは、一体どういうことなのか。
しかも、予想のようなぼやけた物言いではない。はっきりと断定したのだ。
それは一つの、しかもよくない想像をかき立てた。
「まさか、貴様ら……」
想像は確信に近いものになり、怒りの矛先は目の前の女に向けられる。
女の否定も肯定もしない様子が、また彼の怒りを煽った。
憎悪にたぎった瞳で、彼は女を見据えた。と……
「そのくらいにしてもらおうか」
横から男の声が割り込んだ。
ぎょっとして辺りを見回すが、それらしい人物はいない。
「どこを見ている。……ここだ」
なんとか声のした方を見ると……そこには狼が一匹。
それを視界に収めた瞬間、狼の目が光った。
なぜか体が動かない。手足はおろか、瞬きさえできない。
霞がかかったように思考がぼやけていく。何もかもが無に溶ける……
「これで生きている人は全員、かな?」
「ああ。だが……今のは肝が冷えたぞ。相手に自分を恨ませてどうする」
「でも、ちゃんと記憶消してくれたんでしょう? もう自分のことだって覚えてないわよ」
再びぐったりと横たわる騎士を前に、女と狼……アイシャとその護衛獣セイヤ……は会話していた。
「俺が落ち着かん。頼むから、できるだけああいうのはやめてくれ」
「……善処するよ」
アイシャは苦笑すると、懐からサモナイト石を取り出して召喚した。
「たびたびごめん。この人を、そうだな……今度はゼラムの適当な路地まで運んでくれる?」
召喚主の命令にグリムゥはうなずいた。
騎士と共にグリムゥが消えたのを見届けると、アイシャはふぅ……と深いため息をつく。
これで彼らがこの件に関わることはない。少なくとも、黒幕が動き出すまで。
しかし……
「セイ……私は、間違ってるかな?」
「お前はそうしたいと望んだのだろう? ならばそれでいいのではないか?」
「……」
「間違っているというのなら、俺も共犯者だ。お前一人に罪は被らせん」
アイシャはクスリと笑った。
いつも人前で見せる、どこか挑戦的な笑み。
「さて、そろそろ行きましょうか! 雇い主殿も、いいかげん気づく頃だろうし」
「ああ」
一人と一匹は歩き出す。
「ごめんね……」
アイシャの言葉が虚ろに響く。
生者がいなくなった砦には、ただ静寂が漂うのみだった。
「……いでよっ!!」
ちゅどーん、と召喚術による爆発が起こる。
とうとう耐えきれなくなったらしく、牛魔獣(勝手に命名)は爆風と共に消えた。
それに代わるように、また別の魔獣がやって来る。
「くそっ、きりがねえ……っ」
フォルテが舌打ちする。
そう。魔獣はビーニャが際限なく呼んでいるので、こっちが倒すより新手が来る方がはやい。
今のところ被害はないけど……いつまで持つか……
「ちょっとォ、しぶとすぎない? まだ、だァれも壊れてないじゃない」
その様子を見ながら、ビーニャが勝手なことを言う。
……あああっ、どつきたいっ!
でも、できるかどうか以前に近づけない……
「そろそろ飽きちゃったし……そうだァ、いいこと思いついたっ♪」
楽しげな口調で言うと、ぶつぶつと呪文を唱えだした。
なんだか嫌な予感がするけど、目の前の魔獣に手一杯で誰も止めに行けない。
そしてついに。
「おいでェ……」
ビーニャのいるところから光が走り抜けた。
「……?」
みんな、戦いながらも首を傾げた。
確かにビーニャは召喚術を使ったはずだ。
なのに……何も出てこない?
失敗? ううん、ありえない……
それなら、あんな嫌な笑みを浮かべているわけないもの。
「……え?」
足下で、何か音がした気がして。
つい、動きを止めたのがまずかった。
ぼごぉっ!!
地面を突き破って、何かが出てきた。
逃げる間もなく、私はそいつに捕まってしまった。
「!!」
「何だありゃ……植物か!?」
捕まっちゃったせいで全体像は見えないが、言われてみれば手足に巻き付いているのはツタのように見える。
「あれは……吸血植物ですぅ!!」
メイトルパ出身のレシィが叫んだ。
吸血植物ってことは……私はこいつのごはんにされるってことで……
ミイラ化だの、操り人形化だの、マンガや小説でおなじみのパターンが脳裏に浮かんでは消える。
……………………
嫌だぁぁぁぁっ!!
もがくけど、やはりびくともしない。
何人かが吸血植物をどうにかしようと、武器や召喚術を使おうとした。
でも、その前に吸血植物のツタが襲いかかる。
「ぐぁっ……」
「きゃあっ!!」
避けきれずに倒れる人数名。
「ダメだよォ? せっかく捕まえたのに、勝手に手を出しちゃァ」
ニヤニヤと笑ったまま、ビーニャが言う。
「その子には、一緒に来てもらうんだから」
「……なんだと?」
ぴたりと、誰もが動きを止めた。
「その子を連れて来いってェ、命令が来てるの。だからァ……もらうね♪」
もらうねって……私は物じゃないぃっ!!
……じゃなくて……どうして連中の標的にされてるわけ!?
「ちょっ……勝手なこと言わないでよっ!! 大体、なんで私が……」
「嘘だと思うんならァ、ルヴァイドちゃん達に聞いてみればァ?」
私も、そしてみんなもルヴァイド達を見るが、彼らはどこか沈痛な表情で黙ったまま。それはそのまま、ビーニャの言葉をはっきりと認めていた。
「そーいうこと。さァ、こっちおいでェ♪」
その言葉が終わるなり、吸血植物の根っこがずぼっ! と音を立てて地面から出てきた。
大根並の太さがありそうなそれを器用に動かしながら、吸血植物は移動を始める。
……ちょっと待った、動けるなんて反則――――っ!!
「あ、待ちやがれ!!」
真っ先に我に返ったリューグがこちらに向かって駆け出す。
吸血植物は歩みを止め……数秒後、私の頭上を何かが飛んでいった。
それはマグナ達の近くに落ち、ばきりと割れて芽が出て…あっという間に成長していく。
ツタが絡み合ったような茎に、毒々しいほど赤い花。そして何より、人の二倍くらい大きい。
「なっ……こいつ、増えるのか!?」
マグナが叫ぶと同時に、成長が終わったらしい吸血植物は近くまで来たリューグ目がけてツタをのばした。
なんとか斧で切り裂いて攻撃範囲から逃れたものの、さすがにそれ以上は進めなくなってしまう。
そうしている間にも、私を捕まえている吸血植物は移動を再開していた。
他の魔獣もみんなに襲いかかる。
「血を吸われないよう気をつけてください! 養分がある限り、増え続けることができるんです!!」
「植物は植物らしく、おとなしく風に吹かれてろってんだよっ!!」
「くそっ、このままじゃが……」
多勢に無勢なのは相変わらずだけど、そこに焦りも加わっている。私から見ても、戦況は思わしくない。
「キャハハハハッ、ほらァ、早くしないとホントにアタシ達がもらっちゃうよォ?」
ビーニャの笑い声が響く。
うぅぅ……人の捕獲を口実にして遊んでるな、こいつはぁ……
なんとかして逃げないと……
でも、この状態じゃ武器も召喚術も使えない。
吸血植物から解放されるとしたら、ビーニャかルヴァイド達に捕まるときだろう。どちらにしても、逃がしてくれそうにない。
あああっ、どうすればいいの!?
ふと、ハサハは顔を上げた。
その視線が向かうのは、砦の開きっぱなしの窓の一つ。
「ハサハちゃん? どうしたの?」
近くにいたアメルが気づいて声をかけた。
「……くる」
「え?」
「つよくて、はげしくて……でも、やさしいかぜ……」
もう、ルヴァイド達の顔がよく見えるところまで来てしまった。
マグナ達からはずいぶん離れてる。
あうぅ、ビーニャに捕まるのも嫌だけど……ルヴァイド達にも捕まりたくない。
だって、すごく辛そうな顔をしているから。
原因が私を捕まえろって命令なら、なおさらだ。
でも、私にはどうすることも……
「……?」
風が、吹いた。
でも……何かこの風、変……?
よくわからないけど、どうも違和感が……
ビュウゥゥゥゥッッ!!
突然、風が激しくなった。
人間なんて簡単に飛ばせるんじゃないだろうか。そのぐらい強い。
さすがにこれは効いたか、吸血植物も根を石畳に突き刺して耐えている。
全員、呆然とこちらを……
「……!?」
よく見ると、風はここでしか吹き荒れていない。マグナ達も旅団兵も、紙や服が全くなびいていない。
砦の旗もだらしなく垂れている。風が吹いていない証拠だ。
『動くな……』
「え?」
低い男の声が聞こえた、と思ったら。
シュパッ!
刃物が飛んでいくような音がして、私の身体は落下した。
石畳に、しかもお尻から落ちたので結構痛い……
何かよくわからないけど、とにかく助かったんだよね?
どうやら風の外に出られたみたいだし。
吸血植物はまだ暴風に吹かれている。今のうちに……!
けど、あっちもあきらめていなかった。
吸血植物のツタが、暴風を越えてこっちに飛んでくる。
私も一生懸命走ったけど、間に合わず足にかすってしまった。
バランスを崩して、倒れた先には何もない真っ暗な空洞……
「!!」
「くぅっ……!」
なんとか手を伸ばして、通路の端を掴んだ。
かろうじて墜落は免れたけど……きつい。多分、そんなに持たない。
つい、下を見てしまう。底の見えない暗闇。ここの高さを考えると、落ちたらまず死ぬくらいの深さはあるだろう。
腕がしびれてきた……もう、ダメ……
手が石畳から滑り落ちた。
一瞬の衝撃。
「……え?」
まだ……生きてる?
誰かが、手を握っていて……
「大丈夫か? 今、助ける……」
「イオス!?」
突き立てた槍を支えにして、片腕で私を引き上げようとするイオス。
やや無理っぽい体勢。それでも、顔は必死だった。
「ダメだよ、イオスまで落ちちゃう……」
「そういうわけにはいかない。いいから、僕に任せてくれ」
「でも……」
「助かったら僕達に捕まる。そう言いたいのか?」
イオスの表情が、少しだけ曇った。
「正直言うと、どうしたらいいのかわからない……」
「……」
「だが……君が死ぬのは嫌だ。それだけは信じてくれるか?」
「……うん」
信じてるよ。
こうやって、助けに来てくれたんだから。
「……! イオス、後ろ!!」
イオスは私の叫びにあわてて振り返った。
あの吸血植物が、ある。さっきの風でやられたのか、ぼろぼろだったけど。
そいつは私目がけてツタをのばし……
「くっ……」
イオスが槍でツタをはじいた。
おそらく、反射的な行動だったのだろう。そのまま彼もバランスを崩す。
そこに吸血植物の攻撃が飛んだ。槍もろとも、イオスを穴の上へとはじき飛ばす。
もう手でつかめるものも、支えるものもない。私達は空洞の中へと落下していく。
「きゃあぁぁぁぁぁっっ!!」
誰かの叫び声を聞いた。そして……
ここで切ります。……石投げないでください。
やっぱりここ、長いです……思ったより。
一応、次回でローウェン砦は終わりの予定です。
今月中にトライドラ編、終わるかなー……(遠目)