第31話
第31話 もう一人の少女


 誰かが呼んでいる。
 私の名前。仲間の声。
 また、足手まといになっちゃったな。助けたかったのに。
 私の手を掴んだまま、一緒に落ちているイオスも。
 なのに、どうして何もできないの……?

 ふと、イオスと目が合った。
 どこか悲しげな瞳に強い光が宿る。
 それは、何かを決意した表情。

 ぐい、と腕が引っ張られた。
 そのまま私は引き寄せられ、イオスの腕の中に収まる。
 少しどきりとしたが、すぐイオスの意図がわかった。
 「イオス……!」
 もがくけど、びくともしない。
 それどころか、イオスの腕はさらにしっかりと私を押さえた。
 嫌だよ……イオスを犠牲にして助かるなんて、そんなの……!


 どくん。


 頭に痛みが走った。
 禁忌の森で見た映像が、フラッシュバックする。
 誰かの手を引いて、呼びかける男の子。
 両腕を広げて、悪魔の前に立ちはだかる男の子。
 そして……悪魔の槍に貫かれる男の子。


 どくん。


 (ダメ……)
 どこかで誰かの声がする。
 (だめぇぇぇっっ!!)
 頭が割れるような絶叫。
 そのまま、私の意識は闇に沈んだ。







 「そんな……」
 つぶやいたのは誰だったか。
 とイオスが穴の中に落ちてゆく様を、全員が呆然と見つめていた。
 ただでさえ深そうな穴の中に、砦の上から落ちたのだ。あの高さでは、多分助からない。

 「あーあ、落ちちゃった。もうちょっと楽しめるかと思ったのになァ」
 残念そうな言葉とは裏腹に、ビーニャの口調と表情は「まあ、いいか」というような感じだった。
 飽きたオモチャを放り出して、新しいのを欲しがるのと何ら変わりなく。
 その場の空気が不穏なものに変わるのに、さほど時間はかからなかった。
 「テメエ……!」
 「許せない……」
 それぞれに怒りの表情を浮かべて、マグナ達は武器を構えた。
 まずは目の前の魔獣軍団を突破しようと動き出した、まさにその時……

 「……!?」
 最初に、ネスティが動きを止めた。
 何かに驚いたように。
 「これは……そんな、バカな……」
 「ネス?」
 明らかに様子のおかしいネスティを心配して、トリスが問いかける。
 それを合図にしたかのように、今度は達が落ちた穴から光がほとばしった。
 続いてかなりの暴風。

 「今度は何だよ!?」
 マグナが叫ぶが、むろん誰も答えられるわけがない。
 やがて、それは穴の中からゆっくりと姿を現した。
 「なっ……!?」
 「う、嘘ぉっ!」
 驚く彼らをよそに、それは翼をはためかせながら雄叫びをあげた。
 空飛ぶ深紅の……いかにも気性が荒そうな竜が。

 「あれ、ゲルニカじゃないのっ!?」
 ミニスが興奮気味に言った。
 誰もが戦いを忘れ、深紅の巨竜に見入った。
 「伏せてくださいっ!!」
 ゲルニカから鋭い声が飛んだ。
 同時にゲルニカが息を吸い込んでいるのに気づいて、マグナ達はあわてて地面に伏せた。


 ボオォォォォ……


 巨竜の炎のブレスを浴びて、魔獣達はのたうちながら燃えていく。
 吸血植物に至っては、それまで手こずったのが嘘のようにあっさり燃え尽きてしまった。
 やがて全てが収まると、ゲルニカは風景に溶けるように消えていった。
 後には、佇む少女と青年。
 穴に落ちたはずの二人は、向かい合って立っていた。

 「……」
 「行ってください。今の私は手加減ができません。の恩人を殺したくはありませんから」
 イオスは息をのんだ。
 その言葉を聞いた、マグナ達も。
 今目の前にいるのは、見慣れた少女の姿ではあったが、明らかに別人であった。
 口調も表情も。そして、を第三者のように扱った。
 ちらりとルヴァイド達に視線をやりながら「」は続ける。
 「彼らにも、伝えておいてください。を傷つけるようなら、私が許さないと」
 それだけ言うと、「<」は歩き出した。
 ビーニャの方に向かって。

 ビーニャは怪訝そうに、「」を見た。
 そして、一言。
 「……誰よ、アンタ?」
 「あなたの主人に聞いてみれば? そっちの方が詳しいと思うけど?」
 返す口調は静かだが、どことなく怒りが感じられた。
 さらに「」がビーニャに近づこうとすると、その前にぼろぼろの吸血植物が立ちはだかった。
 まだ忠実に、標的を捕まえようとしているらしい。
 「……そういえば、あなたも好き勝手してくれたわよね」
 腹立たしげに言うと、軽く手を振る。
 すると「」の目の前の空間が光り、次の瞬間には無数の矢のようになって飛んでいく。
 そしてほとんどの光の矢は、吸血植物をさらに切り裂いていった。
 もし声が出せるのならば、さぞ大きな絶叫が聞けただろう。

 やがて、光の矢が止まる。
 その頃には、もう吸血植物は原形をとどめていなかった。花も茎もずたずたに切り裂かれ、あちこちに生えていたツタも数本を残して焼き切られている。
 それでも吸血植物は、最後の抵抗とばかりに「」に向かってツタをのばした。
 だが「」は……特に抵抗もせず、あっさり右手首をツタに巻き付かれた。
 その顔が、痛みを感じたのか一瞬、少しだけ歪む。

 「!?」
 「どうしたんですか!? 早くしないとそのまま血を……」
 レシィが言い終える前に。
 吸血植物の動きが凍りついたように止まった。
 数秒の間の後、それこそ大絶叫をあげそうな勢いで「」を離し、のたうち回る。
 少女の顔に浮かぶのは不敵な笑み。
 「あら、お気に召さなかった?」
 それきり、彼女は吸血植物に見向きもしなかった。もはやその必要はないというように。
 そして、事実その通りだった。
 吸血植物はとうとう力つき、消滅していった。

 「あとは……あなただけね?」
 「」はゆっくりと、ビーニャの方へ向き直った。
 先程までとは打って変わった、壮絶な表情。
 ビーニャですら、顔に怯えの色が走る。
 「なっ……なによアンタっ……壊れちゃえっ!!」
 主の命令も忘れて、ビーニャは「」に召喚術を放った。
 だが「」はひょいと避けたため、何もないところに召喚術が命中する。
 「このっ!このっ!このォっ!!」
 焦りさえ浮かべて、ビーニャは召喚術を乱発した。
 そのたびに避けられ、ビーニャのいらだちはさらに募っていく。
 「なんでっ……なんで、当たらないのよォ!?」





 「見切っている……?」
 ルヴァイドのところに戻ったイオスは、呆然とその様を見ていた。
 何もかもが、己の理解を完全に越えていた。
 傍らのルヴァイドが首を振る。
 「いや。それにしては動きが素人だ。むしろ、決まったとおりに動いているように見える」
 「将ノオッシャルトオリダ。動キニ無駄ガアル」
 ゼルフィルドも否定するが、だからといって正解を出せるものでもない。
 「何なんだ、一体……、君は……」
 イオスのつぶやきに答えられる者はいなかった。





 「……幻獣界に住まう魔獣、悪魔の力を得しものよ……」
 とうとう業を煮やしたか、ビーニャが朗々と呪文詠唱を始める。
 「」もその様子を見ると、手で印を結んで呪文を唱え始めた。
 「くっ……」
 「う……」
 何かを感じたか、マグナ達召喚師は顔をしかめて頭を押さえる。
 ミニスにいたっては、またも気分が悪そうにうずくまってしまった。
 他の面々が彼らを気遣う中、様子の違う者が二人いた。
 「おい、シャムロック!?」
 フォルテの叫び声に気づくと、シャムロックが砦の上……つまり、「」達に向かって駆けて行くところだった。
 「……くそっ!」
 フォルテは舌打ち一つすると、シャムロックを追いかける。
 「やめろ! 下手をすれば死ぬぞ!!」
 だが、彼らが自分の言葉を聞くような状態ではないことは、ネスティも充分わかっていた。

 ビーニャの視界の隅に、死に損ないの騎士が映る。
 せめて一太刀、くらいには思っているのだろうが……無駄なこと。
 これでも、大悪魔に力をもらった身。人間の剣がどれほどの役に立つか。
 目の前の驚異を退けてからでも充分。
 そのうち、ビーニャの呪文が完成した。向こうは……まだだ。
 今度は範囲も広い。避けることなどできないはず。
 「……壊れちゃえェっ!」
 召喚術が発動し、少女は爆発に飲み込まれる。
 ビーニャが勝利を確信したとき、シャムロックが辿り着いた。
 憤怒の形相で。

 「貴様はっ、そうやって……私の部下を殺した時も、お前は笑っていたというのか!?」
 「当然でしょォ?だって楽しいんだもん」
 「おのれぇぇぇぇっ!!」
 シャムロックが剣を振り上げる。
 ビーニャは余裕の笑みを浮かべ、剣を受け止めようとした。

 「……彼の者に力を! 集え、祝福の光!」
 凛とした声が響き、爆発の煙から一条の光が飛んだ。
 それは今にもビーニャに触れようとしている、シャムロックの剣に命中する。
 そして。
 「きゃあァァァァっっっ!?」
 ビーニャの悲鳴が響き渡る。
 光をまとったシャムロックの剣は、受け止めようとしたビーニャの腕を傷つけていた。

 ビーニャは憎々しげな視線をシャムロックにやると。
 「アンタも壊れちゃえっ!」
 「! ……逃げてください!!」
 警告は間に合わなかった。
 ビーニャの召喚術は、遅れてやって来たフォルテの方へとシャムロックを吹き飛ばした。

 「シャムロック!?」
 シャムロックを助け起こすフォルテを一瞥すると、ビーニャは光の発生源に向き直った。
 天使エルエルの光に守られて、こちらを見据えている「」を。
 「もォあったまきた! 砦ごと壊れちゃえェ!!」
 かなりヤケクソ気味で、ビーニャは辺り構わず召喚術を乱発し始めた。
 もう、こうなっては敵も味方もない。ルヴァイド達にも焦りが生じた。
 「ビーニャ、やめろ! ルヴァイド様の命令に従うんだ!!」
 「やーだよーっ!」
 「ゼルフィルド、イオス、あの小娘を止めろ。手荒にしても構わぬ!」
 「御意!」
 「仰せのままに!」

 かくして味方同士の捕り物が始まる中、レナードの声が聞こえた。
 「とばっちりを受ける前に脱出するぞ!」
 「シャムロック、俺の肩につかまれ。しばらくの辛抱だ」
 「は、い……フォルテ、さ……」
 「、じゃないか、ええと……お前も早くしろ!」
 「……はい」
 「」はうなずいた。





 その頃、マグナ達からもルヴァイド達からも死角になっている砦の陰。
 そこから「」を見つめる二対の眼があった。

 「……どうだ?」
 「早いよ。予定より」
 「そう言うな。俺もああなるとは思わなかった。しかし、助けてやった先から穴に落ちるとは……つくづく運がないな」
 「……」
 「何か言いたそうだな?」
 「……別に」
 憮然としてアイシャ。
 セイヤは彼女をおかしそうに一瞥した後、視線をビーニャに移した。

 「しかし、厄介なことになったな……このことは、奴も知ったと思って間違いないだろう」
 「そうだね。どっちに転ぶか……もう私にもわからない」
 アイシャの眼は、未だ去って行く「」やマグナ達を捕らえていた。
 どこか哀れむように。

 「それはこれから考えるとして……まず、目の前の仕事を片づけないとな」
 セイヤが示す先には、暴れ回るビーニャとそれを追いかけるイオスやゼルフィルド。
 「はいはーい。どーせ、しがない傭兵ですよー」
 やや投げやり気味なアイシャの言葉。
 だが、その表情は先程よりは穏やかだった。







 ローウェン砦からかなり離れた街道の途中で、ようやくマグナ達は足を止めた。
 全員が息を整えた後、そろって「」を見る。
 「さて……そろそろ説明してもらいたいんだが」
 代表してネスティが問いかけた。
 「君は誰だ? じゃないんだろう?」

 「」はじっ、とネスティを見た後。
 「やっぱり、覚えてない……」
 「は?」
 「いいえ、こっちのことです。気にしないでください」
 少し悲しげな微笑みを浮かべて「」は続けた。
 「私はとの約束を果たすためにここにいます。時が来るまで彼女の力となり、共に運命と戦うために」
 「運命と、戦う? それに約束って……」
 「今はまだ、それしか言えません」
 困惑気味のネスティの質問を「」は一言で打ち切った。

 「……また、お会いしましょう」
 「待ってくれ! まだ聞きたいことが……」
 ネスティが言い終わるより早く、少女の身体がぐらりと揺れた。
 あわててネスティが支える。
 「おい!」
 「……あれ、ネス?」
 ネスティの呼びかけに、しかし応えたのはどこか緊張感のない声だった。





 気がついたら、どういうわけかネスの腕の中。
 ……あれ?
 「イオスは? 私、落ちたんじゃないの?」
 「……?」
 ネスが呆然とつぶやいた。
 よく見ると、他のみんなも似たような顔をしている。

 「えっと……、だよね?」
 困惑した顔で、トリス。
 「え? どしたのみんな?」
 なんか様子がおかしいけど……何かあったの?
 街道にいるってことは、もうローウェン砦から脱出してきたんだろうけど。

 訳がわからないまま、私はみんなを見回した。
 …………ん?
 「ネス、アメル? ……泣いてるの?」
 「……え?」
 二人は不思議そうな顔をしたけど。
 確かに、目からは涙が流れていた。
 「どうして……」
 「なんだか、急に……悲しくなって……」
 表情を変えないまま、涙を流す二人。
 見ているうちに、妙に切ない気持ちになった。

 そういえば、何か忘れてるような……
 ………………って………………あ。
 「ところで……シャムロック……って人は?」
 呼び捨てにしそうになるのをどうにかごまかして問いかければ。
 『………………あ』
 みんなの声がハモった。
 「おいっ、シャムロックしっかりしろっ!!」
 「アメル、治癒お願い!!」
 「は、はいっ!」
 「あたいも手伝うよっ!!」
 雰囲気一変、辺りは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。








 竪琴をつま弾くと、ぽんと音が一つ。
 その余韻に浸りながら、レイムは口元に笑みを浮かべる。
 「やっとそろいましたね……大罪の調べの主旋律が」
 昼なお暗い会議室の一角。
 レイムはいとおしげに竪琴をかき鳴らした。
 美しくも悲しい音色だけが辺りを支配する。
 「ずっとあなたを待っていましたよ……」
 観客のいない演奏場に、その言葉はひどく響いた。



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やっぱり重くなった……スクリプトめっちゃ埋め込んでるし。
もう一人の人格(?)さん登場。もちろん、ガレアノぶっ飛ばしたのは彼女です。
名前書こうかと思いましたが、いいのが思いつかなかった……(汗)
次回は……ちょっと一波乱起きてもらいます。