第35話
第35話 絶望の中で
違和感を、感じた。
一瞬で人が鬼に変わったことにではない。確かに恐怖とかはある。
だけど、それ以上に何かがずれ、狂っていくような感覚。
「そんな……人間が、一瞬のうちにバケモノに変わるなんて!?」
「鬼神憑依……あなた、この人に邪鬼を憑かせましたね!」
「いかにもいかにも、ワタクシは鬼神使いでして。人の心は脆いもの。トライドラに住む者のことごとくが、ワタクシがきっかけを与えるだけで簡単に鬼へと変じましたよ」
ゲームで聞いたときには何かしら反応してたはずのやりとり。
今、目の前で起こっているのに、ガラス一枚で隔てられたようで。
いや、むしろそれがきっかけだったのかもしれない。
どくん、と。
私の中で何かが叫ぶ。
始めは無秩序に、でも次第に一つにまとまって全身を浸食していく。
私という心すら食い尽くすような勢いで。
それが何なのかすら、どうでもよくなっていった。
ただ、目の前の現実と荒れ狂う感情だけ。
「ククク……愉快ですなあ?」
……ま、って。
「貴公らも、すぐに同じになりますよ」
……黙ってよ。
「クククク……いざや、ゆるりと鬼になれぃ!!」
「黙りなさいよっっ!!」
一筋の光が、キュラーの足下に突き刺さった。
キュラーは驚いたようだったが、それも一瞬のこと。
仮面のように同じ笑みを浮かべるその顔が腹立たしい。
「!?」
誰かの声。
何騒いでるの? 許せるわけないじゃない。あんなことしたんだから。
彼を殺した、あいつみたいに…!
怒りのおもむくまま、私は右手をかざした。
力をそこに集中させる。
『……やめなさい!』
頭の中に声が響いた。
うるさいなあ。誰だか知らないけど邪魔しないでよ。
『それ以上はダメ! その子が……が消えるわよ!』
ビクン、と身体が震えた。
全身を支配していた怒りは急速に薄れ、一気に力が抜ける。
「、大丈夫!?」
みんなが駆け寄ってくる。
気がつくと、私は膝をついて座っていた。
妙に体がだるくて、頭も少しぼんやりしている。
なんで怒っていたのかさえ、思い出せない。
「あ、ネックレスが……」
トリスの指摘に視線を動かすと、ネックレスがうっすらと光っていた。
光は徐々に弱くなり、すぐに消える。
「どうやら、余計なお節介をした者がいるようですねぇ」
視線がキュラーに集中する。
言葉の内容の割に口調には余裕があり、口元に笑みさえ浮かんでいた。
「テメエ……何しやがった!?」
「おや、心外ですね。彼女にはまだ何もしていませんよ?」
けど誰も信じなかったようで、何対もの目がキュラーを睨んだ。
「この野郎!」
フォルテが叫ぶ。
それが始まりの合図となった。武器を片手に何人かが走り出す。
向こうからも、いつの間にか鬼と化した兵士達がこっちに向かってくる。
「トリス、アメル……を頼む」
マグナは短くそれだけを告げると、鬼達の群れへと斬りかかっていった。
「大丈夫ですか? どこも何ともありません?」
アメルが心配そうに問いかけた。
「まったく、なんて奴よ! にまで……!!」
「違うよ、あれは……」
キュラーがやったんじゃない。
そう言おうとして、視界の端で佇んでいる人に気づいた。
「シャムロック!? 何やってるの!!」
そう、まだシャムロックは呆然と突っ立ったままだった。
誰も気づかなかったの!?
「そんな……嘘だ……」
よほどショックだったのか、うつろな表情でつぶやいている。
……ヤバイ。これはとってもヤバイ。
「危ない!」
叫び声が響き、そっちを見た私は息をのんだ。
私の懸念をまさに証明するかのように、召喚術がシャムロック目がけて飛んでいく。
だけど、当人はまったく避ける様子なし。
ああ、もう! と思ったときにはもう駆け出して…
どんっ!
ごすべちっ!!
「ぐわっ!!」
ちゅどーん!
……説明しよう。
私は突き飛ばしてでも避けさせようとしたんだけど直前で足が変な風にもつれてしまい、その結果こけた。
で、倒れた先にシャムロックがいて、私が押し倒すような格好で一緒に倒れ…そのせいで傷に響いたらしくシャムロックがうめき声を出した。
そして、その上を通過した召喚術が壁に当たった。
……というわけである。情けない……
「いったー……」
「あ、あの……」
困ったようなシャムロックの声。
下を見るとシャムロックが……って、この体勢は……
数秒の思考停止の後、じわじわと状況を理解し。
「あ、ご、ごめん!!」
あわてて立ち上がった。
すーはーすーはーと、どうにか呼吸を整える。
「いえ、避けなかった私も悪いんです。……危ないですから下がっていてください」
……ぷちっ。
「大バカ者――――っ!!」
ぱーん、と音が響き渡り、辺りが静かになる。
シャムロックは唖然として私を見つめた。
まさか平手打ちされると思わなかったのだろう。
でもね、今のあんたに危ないとか言われたくないわよ!
「私よりあんたの方が危ないでしょうが! この状況で何ぼさーっと突っ立ってるのよ!」
「え、あ、その……」
「『嘘だ』とか言って現実逃避してる場合でもないでしょう!? それで領主様やここの人達が元に戻る!?」
後で考えれば会って間もない、しかも年上を「あんた」呼ばわりしたり平手打ちして説教始めたりととんでもないことした気がする。
だけどその時、怒りはブレーキがかかることなく大爆走していた。
「大体、今は戦闘中なのよ、向こうは遠慮なしに来るのよ! ショック受けてようが悩んでようが攻撃してくるのよっ、お構いなしなのよ――っ!!」
はーっ、はーっ……
自分でも何言ってるのかわからなかったものの、とりあえず吐くだけ吐いて落ち着いた。
さすがにシャムロックを含め、何人かがぽかんとこっちを見ていたけど。
もう一度、呼吸を整え。
「……逃げたい気持ちはわかるけど、多分領主様やここの人達が正気だったらこう言うと思うよ……」
しっかりとシャムロックを見据え。
街を守れなかった彼らの気持ちを考えながら言葉を紡ぐ。
「『聖王国を守るための騎士なら、自分達ができなかった分まで守り抜いてくれ』って」
鬼に変貌する仲間や自分。死んでゆく街。
どうすることもできなかった人達の無念はどれぐらいのものだろうか。
だからこそ、ここで逃げてちゃいけない。
救えないのなら、せめて。
「あいつを止めよう。ね?」
たとえエゴや自己満足でしかないとしても。
もう、それしかできないから。
「そう、ですね……」
返ってくるのは、まだかすれた声。
それでも絞り出すような声音が、光を取り戻していく瞳が一歩踏み出そうとする意志を伝える。
「私が逃げていては、いけませんよね……」
「そ。だから、一緒に戦おう」
「……はい!」
「よし!それじゃ行ってらっしゃい!」
強くうなずくと、シャムロックは戦闘の真っ直中へと駆け込んだ。
それを見送ってから、私もサモナイト石を取り出す。
「……私達も行こうか、トリス、アメル?」
「ええ!」
「はい!」
戦況は一変した。
シャムロックに加えて、回復役のアメルの参戦が決め手になったらしい。邪鬼憑きの兵士達はどんどん減っていく。
もう少ししか残っていない。あとは……
……?
そういえば、キュラーはなんで何もしてこないんだろう?
あれから何をするでもなく、ただ見ているだけ。
ただの余裕……でもなさそうだし……
そのうち、残りはリゴールとキュラーだけになった。
さすがにこの二人は他の兵士のようにはいかない。
激しく剣がぶつかり合う。
それでも数の差か、リゴールの勢いがなくなっていく。
よし、もうすこ……
ぱんっ
いきなり視界が変わった。
結構後ろの方にいるのに、キュラーの姿がすぐ近くに見える。
呪文を唱えるキュラー。近くに鬼の顔が、陽炎のように浮かび上がる。
そして、鬼の顔はすごいスピードで飛んでいく。
その先にいるのは……
「!?ってば!!」
肩を揺さぶられる感覚と共に、視界が元に戻った。
目の前には私の肩を掴んでいるトリス。
「え? どうしたの?」
「それはこっちのセリフよ。いきなりぼーっと立ち止まるから、また何かあったのかと思ったじゃない」
……そりゃそうだ。
でも、今のは何だったんだろう……?
何気なく視線をキュラーの方に戻して……
「!?」
キュラーは呪文を唱えていた。
しかも……さっき見えたのとまったく同じ仕草で。
直接攻撃組の半分はリゴールで手一杯、残り半分はキュラーを止めようとするがどう見ても離れすぎている。
ネス達もあわてて呪文を唱える。
キュラーの近くの空間が、ゆらりと揺れる。
…間に合わないっ!
「ダメ――――――っ!!」
ぶわり、と風が吹いた。
何かが身体の奥深くで生まれ、全身を駆けめぐる。
私は手をキュラーに向けていた。そこに力が集まる。
そのことに疑問も抵抗もなかった。
ただ、その先の光景を現実にしたくない。それだけだった。
キュラーが驚いてこっちを見た。
……今だ!
そう思うと同時に手が光る。次の瞬間には、光は一本の矢を形作って飛んでいった。
「いっけぇ――――っ!!」
光の矢は祈りを乗せて、まっすぐに空を切って進む。
誰もが固唾をのんで見守る中、光の矢は召喚されかかった邪鬼に命中した。
爆発的に光が広がり、絶叫が響く。
収まった頃には、もうそこには何もなかった。
静寂が漂う。
いつの間にか、リゴールを相手にしていたマグナ達も驚いたようにこっちを見ていた。リゴールがぐったりと横たわっているところから察するに、どうやらあっちは終わったらしい。
「……素晴らしい」
視線が、今度はキュラーに集まる。
「その状態でこれほどの力とは……」
「けっ、何余裕ぶっこいてやがる! 後はてめえだけだ!」
「さあ、今すぐ領主様やトライドラの人達を元に戻せ!」
フォルテとマグナが叫ぶ。
だが返答は、低い笑い声。
「お戯れを……そんなことができるとお思いですか?」
「どういうことだ!?」
「鬼に憑かれた者は時と共にその魂を食われてゆく……もはや、その男は領主の抜け殻なのですよ」
絶望が吹き荒れる。
もう、ここには誰もいない。操り人形だけの街。
事実上、トライドラは敗北し……滅んだ。そういうことになる。
「ならば、せめて……」
沈黙を破ったのは、静かな……だけど怒りが吹き出しそうなシャムロックの声。
「このような非道をした貴様だけは倒す!!」
言い終えるや否や、瞬く間に二人の間合いがつまる。
シャムロックが剣を振りかざした、まさにその時。
どぉん!
横手から吹き飛ばされる壁。
その衝撃は、怪我人のシャムロックを止めるには充分だった。
「ぐっ!?」
シャムロックがうめく。
そして私達も、動けずにいた。
そこから現れたのは、予想していた……でも今一番見たくなかった人物。
「いつまで遊んでいるつもりだ、キュラーよ」
「ガレアノ!」
レナードが歯ぎしりする。
そのガレアノは、こちらには見向きもせずに続ける。
「ルヴァイドの奴がお呼びだ。さっさと戻らねば、あの方に迷惑がかかる。こやつらの始末などいつでもできるさ、カカカ……」
「なるほど。今は貴公とワタクシが忠実な兵士へと造り変えた、トライドラの者たちを連れていくことが先決でしょうな」
「カカカカッ! 鬼と屍人からなる、悪夢の軍隊をなぁ!?」
マグナ達が凍りつく。
それこそ悪夢のような、恐ろしい会話。
現実じゃなかったからこそゲームではあっさり流せたのだと、今更ながらに思い知る。
そして、今気づいたようにこちらに向き直ると。
「では、またいずれお目にかかりましょう」
その言葉を合図に、キュラーとガレアノ、鬼達の姿が消えてゆく。
レナードやケイナが攻撃を加えるが、むなしく通り過ぎるだけ。
完全に消える直前、彼らの視線が私に向いた。
「わかっているのでしょう? もう、逃げられやしません。あの方はお待ちかねですよ……」
「カーッカッカッカ!!」
それが最後だった。
あとには何も残っていない。全ては幻だったと言わんばかりに。
重く、やりきれない沈黙が横たわる。
特に、フォルテとシャムロックは悔しそうに歯噛みするしかなくて。
「しゃむ、ろク、よ……」
そんなシャムロックを呼んだのは、かすれてひび割れた声。
「領主様っ!!」
倒れているリゴールに駆け寄ると…さっきまでのような獰猛さはなく、むしろ穏やかだった。
ただし、瞳の光は弱々しい。
「すマ……ぬ……。わシわ、ワしは……」
「しっかりしてください! リゴール様っ!!」
一縷の望みをかけて、シャムロックが呼びかける。
……でも。
「あなたの力でなんとかできないの、カイナ!?」
「もう、手遅れです……ここまで鬼に浸食されてしまっては……命を絶つより他には……」
もう、助けることはできない。……誰にも。
残酷な現実がのしかかる。
「……領主様」
私の声は、だだっ広い謁見の間にひどく響いた。
こんなこと言っても、何もならないかもしれない。
でも、これだけは。
「必ず、止めます。終わらせてみせますから……」
それ以上は、あえて言わなかった。
だけど。
「……そウ、か」
彼の顔には、一種のすがすがしさが感じられた。
あとは…
「……シャムロック」
私が小さく呼ぶと、シャムロックはうなずいて剣を抜いた。
その表情に浮かぶのは…覚悟。
「それしかねえよな……お前がケジメをつけるしか」
フォルテが言った。
シャムロックがゆっくりと、領主様に近づいていく。
沈痛な空気の中、私達は二人を見守っていた。
それこそが義務だというように。
「リゴール様……お許しくださいっ!」
叫びたいのを必死でこらえているような顔で、シャムロックが剣を突き立てた。
ぶすりと音がする瞬間、一瞬だけその目がきつく閉ざされる。
その後も、シャムロックが震えているのがなんとなくわかった。
「感謝……する、ゾ……後……タの……」
それだけを必死で告げ。
トライドラの領主様は、砂のように散った。
「ふーっ……なんとかおとなしくなってくれて助かったわぁ」
彼女は深々とため息をついた。
「あの子も、悪い子じゃないんだけどねぇ……」
「まさか、もう……」
「あ、それは平気。今は引っ込んでるみたいだから」
相手に軽く返事を返すと、彼女は再びため息をついた。
「ただ……あっちも影響を受けちゃっているみたいね。無意識にあの子の力を使ってたし」
「そう……」
それきり、相手は沈黙した。
因果なものだ、と思う。
なぜ、こうなってしまったのだろう。
運命の一言で片づけてしまうには、あまりにも……
「……飲みましょ」
相手が突然の話題転換にぽかんとしたが、彼女は気にしない。
こういう時は、飲んでしまうに限る。
「ちょっと、メイメイ……」
「いいじゃないのぉ。あの子なら当分大丈夫よ。明日は明日の風が吹く!気にしすぎるとハゲるわよぉ、エクス?」
「そういう問題じゃないと思うけど……」
「よぉし、この前もらった清酒『美少年』、早速あけるわよぉっ!」
「聞いてないや……まあ、いいか」
そして彼の心配をよそに、メイメイの一人酒盛りは開始された。
その前の様子が嘘だったかのように。
案の定、書きにくい描写が……(汗)
主人公大爆走。多分、今までで一番ころころ変わってます。
シャムロックも難儀な目に……。押し倒されるし平手くらうし。シリアスなのにそうでないような(苦笑)
次でトライドラ編は終了です。