第36話
第36話 それぞれの思い
そこには、ぼろぼろの布きれだけが落ちていた。
それだけがかろうじて、さっきの出来事が実際にあったんだという証。
人であることを捨ててしまった者は、土に還ることすら許されない。どこかで聞いたフレーズが頭をよぎる。
私は布きれ……元「領主様の服」だったものを拾い上げた。
「?」
「……いくら何でも、このままっていうのはかわいそうでしょう。シャムロック、埋めてあげられそうな場所ある?」
それで私の意図をわかってくれたらしい。シャムロックは無言でうなずいた。
みんなもしんみりした顔になった。
助けられなかった代わりとしては、大した行動ではなかったけれど。
でも、それしかできなかった。
ざくり、と領主様の剣が地面に突き立てられた。
石碑なんてたいそうな物は用意できなかったし、何よりもこれが一番いい墓標のような気がした。
しばらく、黙祷を捧げる。
「……今、この時より私はこの剣にかけて誓います」
シャムロックの声だけが聞こえた。
「トライドラ最後の騎士として、デグレアと戦い続けると……」
それは剣と同時に、領主様や仲間達に対する誓いでもあったと思う。
そして、ここにいる人全ての決意。
「……行きましょう」
シャムロックは真っ先に踵を返し、歩き出した。
迷いのないその背中は、何かを断ち切ろうとしているようにも見えた。
ぱちぱちと、焚き火の火が燃える。
さすがにみんな疲れていたので、街道からいくらか外れた所で野宿しているところだ。
あの後、私はファナンに戻ることを提案した。
次にあそこが狙われるのは明らかだったし、何よりメイメイに聞きたいことがあったからだ。
ネックレスを指でつまむと、鎖がしゃらりと澄んだ音を立てる。
「特製のお守り」と言っていたけど。
彼女は、私がああなることを知っていたんじゃないだろうか……?
「まだ寝ないのですか?」
不意に、声をかけられた。
そういえば起きてるのは、もう私と見張り役の彼だけだ。
「んー……なんか眠れなくて」
「そうですか。でも、少しは休まないと明日に響きますよ」
「わかってるんだけど、ね……」
それきり沈黙。
…………えーと。
「……今日はすみませんでした。あなたにいろいろ迷惑をかけてしまって……」
私が何か言う前に、シャムロックがすまなさそうに口を開いた。
「フォルテさ……ん、から聞きました。あなたのこと……」
「私の?」
まあ、大体の見当はつくけど。
ローウェン砦の一件の後、相当へこんでたしね……
「私にとってデグレアは、ローウェン砦を、そして仲間を滅ぼした仇でした。あなた達にとっても似たようなものだと聞きました。ですから、正直あなたの考えが理解できなかったんです。たとえ、彼らの中にあなたの恩人がいたとしても」
その考えというのがどれのことなのかは、言われなくてもおぼろげにわかった。リューグにも言われたばかりだし。
そうか……そうだよね。
シャムロックだってあんな目にあったんだもの。
それに、連中がルヴァイド達を利用していることも知らないんだ。たとえビーニャの独断であっても、デグレアがやったことになる。ルヴァイド達を信用しろって方が無理だ。
彼はちらりと私を見た後、目を伏せながら続けた。
「ですが、トライドラがあんなことになって、あなたに叱りつけられて……自分が情けなくなりました。本来なら、あなたに言われるまでもなくキュラーと戦うべきでしたのに。私は、逃げてしまった……」
自分を責めるような、そんな口調。
シャムロックの表情はよく見えない。でも、なんだか泣いているような気がした。
「あなたは、強いですね」
「え?」
「恩人が敵に回って、平気なはずないのに。それでも、あなたは立ち向かおうとしている。彼らを倒すためではなく、止めるために」
「え、あ、そ、そんなことないよっ」
なんか、恥ずかしいなあ……ここまで感心されちゃうと。
しかも、相手は騎士様だし。
「……強くなんかないよ」
私は空を見上げた。
そこには満天の星。そして、こんな時でも優しい月の光。
「これは単なる私のワガママ。みんなが好きだから一緒に戦ってるし、イオス達も好きだからああいうことをやめさせたい。ただ、それだけの話。本当は私だって怖いよ」
ガレアノも、ビーニャも、キュラーも。そしてレイムも。
去り際に、キュラーは「もう逃げられやしない」って言った。
そう。それは、私が一番わかってる。
彼らの恐ろしさを知っているから。
それに、もう一人の私が強くなっている。さっきなんて、一歩間違えれば本当に私が消えていただろう。
自分でなくなる恐怖。そんなものを抱えて、どこに逃げられる?
それでも。
「半分意地みたいなものだけどね。どうせ逃げられないなら、徹底的にあがいてやろうかな、って」
これが、弱い私なりのささやかな抵抗。
デグレアのことも、もう一人の私のことも。いつかは真正面から向き合わないといけない。
だから、一人で怯えるよりはみんなと立ち向かっていこうって決めた。
でなきゃ、ナツミ達に笑われちゃうし。
ふと、シャムロックがくすくす笑い出した。
「ん? どうしたの?」
「いえ、別に。やはり、あなたはあの方が言っていたとおりの人ですよ」
何言ったのよフォルテ……
シャムロックの顔から察するに、悪口じゃないだろうけど。
「……ま、いいか」
「トライドラは落ちた」
「そうですか……」
上司の言葉を、なぜかイオスは人ごとのように聞いていた。
無理もないな、と思う。
ローウェン砦での作戦は、結果的に砦を落とせたもののビーニャのせいで滅茶苦茶。
止めようとして、こちらにまで負傷者が出る始末だった。
そして、もう一つ。
あの場から逃げ延びた彼女は、今どうしているだろうか。
「……浮かない顔だな。やはり気になるか?」
ルヴァイドの表情が、わずかだが変わった。
そしてその意味も、言われずともわかる。
本当に、この人にはかなわない。
「……はい」
「もはや、何かの間違いと言えなくなってしまったからな。しかし、解せぬな」
「何がです?」
「確かに強力な力だとは思う。だが、しょせんは一人の力だ。戦の切り札になるとは思えん」
「確かに……」
考えてみれば、腑に落ちない点は他にもある。
聖女に関してはまだわかる。召喚兵器「ゲイル」を手にするための鍵。
だが、「」についてはほとんど説明がない。ただ、召喚術とは違う力を持つ、ということだけ。
そんなあやふやなことで、元老院が捕獲命令を下すだろうか?
ふと、あの顧問召喚師達の顔が思い浮かぶ。
そもそもあの命令を伝えたのも、またの力を報告したというのも彼らだった。
の調査及び捕獲命令に、彼らが関係していることは間違いないだろう。
「何を考えている、レイム……?」
つぶやきは自然に口をついて出る。
ルヴァイドは不快そうな表情を浮かべた。
歌声が聞こえる。
駐屯地のテントから少し離れた森の中。
そこに佇む仮面の女。
「アイシャ」
ふと、名を呼ばれて彼女は歌を止めた。
振り返りも、確認もしない。そのぐらい、馴染んだ相手だった。
「テントにいないと思ったらここだったか。……珍しいな」
「うん。確か、今日だったと思うから」
第三者が聞けば意味不明だが、彼女達にはそれで充分だった。
月の下、森の向こうに何があるのか。それを知っていたから。
「これしかできないから。私には」
「そこまで気にせずとも……」
「いいの。私がそうしたいんだから」
相手は不承不承黙り込んだ。
再び、歌声が彼女の口から紡がれる。
高く低く。それは、悲しげな旋律。
月の光や森の闇と相俟って、美しい光景を作り出す。
ふと、誰かが彼女を後ろから抱きしめた。
さすがに彼女も、狼狽した表情になる。
「ちょ、ちょっと! ここでそれは……」
「かまわぬ。どうせ、ここには誰も来ない」
「……もう……」
この確信犯、とすねたような口調。
相手はそんな彼女を見、おかしそうに微笑んだ。
「……歌ってくれ。今度は、もう少しましな歌がいい」
「……何よ、それ」
「今の歌は暗すぎる。何か明るいものでも歌え」
「仕方ないでしょう……そういう歌なんだから」
彼女は、諦めたようにため息をつく。
そして、また歌声が響く。
「おい、そろそろ交代だぞ」
「あ、はい! すみません、フォルテ様」
つい反射的に返してから、しまったと思った。
フォルテ共々、辺りを見回す。幸い、全員眠っていて聞いていないようだ。
「……だから、それはやめろって言っただろ……シャムロック」
「すみません……つい」
「う……」
再びぎょっとした。
発生源は、なんとか眠ってくれた。起きてしまったのかとひやひやする。
だが……
「うう……ん……」
顔をしかめながら寝返りを打つ。
その後は、何事もなかったかのような寝息。
「……なんだ、寝言か……」
はーっ……とため息二つが重なる。
「助けられてしまいましたね……彼女に」
「大したやつだろ?」
それぞれ笑みを浮かべて、を見つめる。
悪い夢を見ているのか、その寝顔は辛そうだ。
シャムロックはおだやかな表情のまま、言った。
「決して渡しません……デグレアには」
「……だな」
不敵に笑うフォルテ。
まるで「剣術道場の問題児」と言われた、あの頃に戻ったようだった。
トライドラ編、これにて終了。
シャムロックとの会話だけでは短すぎたので、デグレアちょっと出ていただきました。
アイシャさん妙に子どもっぽく……(汗)。彼女達も早く堂々と書いてみたいです。
次回からは、いよいよ第2部ラストの豊漁祭編!