第53話
第53話 呪縛は謳う
夜だというのに、なぜか騒がしい屋敷。
そこをながめながら、ぽろんと竪琴をつま弾く影一つ。
「おやおや……」
レイムは小さく笑った。
ここから感じる魔力や感情だけでも、何が起こったのかは大体わかる。
「本当は彼女に治療させたかったのですが……」
まあ、それはそれでかまわない。
せっかくだから、楽しませてもらうとしよう。
ぴぃん
弾かれた弦が、高く冷たい音を立てた。
「迂闊だったわ……」
ミモザが苦々しく舌打ちをする。
「シルターンのシノビなら、毒を使ったっておかしくなかったのに」
ベッドの上。
うつぶせに横たわり、荒い息をついている。
その背中には、小さいが紫色に腫れた傷。
「まだ消えないのかい?」
「それが……さっきからやってるんだけど……」
見かねたモーリンの質問に、しかしルウは首を横に振った。
今はミニスがリフレッシュアクアをかけているが、それでもに変化はない。
「ごめん……もう、限界」
息を切らせながらミニスはローレライを送還する。
誰もが悔しそうに表情を歪めていた。
だんっ!
壁に打ち付けられたネスティの拳が、鈍い音を立てた。
じわりと広がる痛み。だが、これぐらいなんだというのだ。
「くそっ……!」
誰も、何も言えなかった。
治療するから男共は出ていろと、部屋の外に出されて数刻。
いくら待っても終わった様子のないことが、廊下で待つ彼らをいらだたせていた。
特にそれが顕著だったのは、言うまでもなくネスティだ。
「だいぶカリカリしてますね……ネスティさん」
ロッカが深々とため息をついた。
「無理もねえだろ、自分を庇ったせいで毒にやられちまったんだからな」
フォルテがぼそりと返す。
そして再び、全員の視線がドアに向かう。
いくら何でも時間がかかりすぎている。
「ただいまーっ」
緊張感も何もない、のんきな声が飛んできたのはその時だった。
「……!」
はっと顔を見合わせた後、矢のように玄関へと走っていったのはネスティとリューグ。
不安を抱えながら足を急がせて、たどり着いたホールでマグナ達が何事もなく立っているのを見てようやく胸をなで下ろした。
「ネス? リューグ?」
「どうしたの、二人とも?」
「……お前らは無事なんだな?」
マグナとトリスの質問を無視してリューグが問う。
え、とアメルの口が開かれた。
「……何かあったんですか?」
なぜかいつもと違う格好でそこにいるシオンが、ただならぬ雰囲気を察したか怪訝そうに訊いた。
「……そちらはしくじりましたか」
言葉とは裏腹に、レイムの表情は落ち着いていた。
「では、役者も揃ったことですし。第二幕といきますか」
レイムは禍々しく微笑むと、ぱちんと指を鳴らした。
「うっ……あ……」
びくん、との身体が痙攣した。
「えっ!?」
ミニス達に代わって召喚術を使っていたナツミが声を上げた。
ルニアの放つ光が急速に弱まっていく。
彼女達の意志ではない。
明らかに、何か強い力に押し返されている。
不意に、けたたましい音を立ててドアが開いた。
「さんっ!」
「っ!!」
ようやく事態を知ったアメルとトリスが入ってくる。
廊下にいる男性陣も、さすがに中が気になるのか心配そうに覗き込んだ。
だが、中にいた面々は誰も振り向かなかった。
呆然と、ある一点を見つめたまま。
「何なの……これは……」
ケイナがつぶやく。
全員ベッドに駆け寄ってきて…同様に息をのんだ。
の背中の傷。
紫色に腫れ上がった部分が、脈打つようにうごめいていた。
そこから紅い線のようなものが、根のごとく背中に広がっていく。
「きゃあっ!」
ナツミがよろめき、ルニアが消える。
完全に跳ね返されたのだ。
「ど、どういうことだよ!?」
「ただの毒じゃありません……これは、呪詛の一種です」
マグナに答えを返すカイナの声が、冷え冷えと響き渡った。
竪琴が旋律を奏でる。
残酷なほど美しい音色で。
月明かりを受けて、奏者の銀髪も輝く。
人間離れした美しさで。
がさっ
彼から少し離れた茂みが揺れた。
「諸々禍事罪穢れを、祓い給え、清め給えと申す事の由を……」
カイナの口から呪文が紡がれる。
その手を傷口の上にかざし、全身全霊で呪詛を消しにかかる。
紅い線の進行は止まっている。
だが、これはカイナが必死で押さえている結果だ。
呪詛そのものが消える気配はなく、は相変わらずうめき声を上げ続けている。
誰もが、歯がゆい思いをしながら見守っていた。
鬼の呪詛を消せるのはカイナ一人だ。
解呪が成功することを祈るしかできない。
「さん……」
アメルは不安げにを見つめた。
いらないとさえ思っていた奇跡の力。
マグナ達と出会って、様々な出来事があって。
ようやく受け入れることができそうになってきたのに、今苦しんでいる友達を救うことができないなんて。
もし、この力が奇跡だというなら。
を助けてくれる奇跡が起こったっていいではないか。
(助けて)
強く、強くアメルは祈った。
(さんを助けて……)
部屋に暖かな光が満ちた。
「……アメル?」
呆けたようにリューグがつぶやく。
アメルの身体が光っていた。
祈るような姿で、微動だにせず。
いや、アメルだけではない。
「うぅ……」
の身体も光り出す。
表情は和らぎ、うめき声も徐々に小さくなっていく。
逆に傷口の腫れは激しく痙攣し、紅い線も退き始めた。
「天の斑駒の耳振立てて、聞こし召せとかしこみかしこみも申すっ!」
今だとばかりにカイナが声を張り上げた。
解呪の力が効果を発揮し、紅い線がさらに勢いよく消えていく。
「……!」
皆が期待のまなざしを注ぐ中、バルレルとハサハだけが表情を険しくした。
紅い線が完全に消える。
あとは傷口の腫れ物だけだという安堵感が満ちかけた、が。
「離れろっ!」
バルレルの警告の意味を、全員が理解するより早く。
傷口から何かが飛び出し、広範囲に広がった。
それは不気味にうごめき、一つの姿を形作る。
巨大な、血のように紅い蛇の姿を。
シャァァァッ、と蛇が吼える。
怒っているのは明らかだった。
人間の言葉に直すなら「よくも邪魔しやがって」というところか。
そのままマグナ達に襲いかかる。
「上等だ……かかってこい!」
フォルテが剣を抜く。
他の面々も武器を構えた。
「………」
ギブソン・ミモザ邸の裏手。
そこに佇む人影があった。
「なるほど、ね」
アイシャは一人ごちた。
視線が向かう先、その延長上には騒ぎの中心があるはず。
「仕方ないか……」
彼女はため息一つつくと、目を閉じた。
「おりゃあっ!」
リューグの斧が大蛇目がけて振り下ろされる。
だが、鱗のあまりの堅さに大した傷もつかずに跳ね返された。
そこに大蛇の尻尾が唸り、リューグははじき飛ばされる。
「ぐわっ!」
「わあっ!?」
リューグと飛ばされた先にいたマグナが、もつれ合って倒れた。
戦況は絶望的だった。
武器攻撃は効かない。
強力な召喚術を使おうにも、室内では確実に味方に被害が出る。
さらに付け加えれば、良案を考える暇もなかった。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
巨体からは想像できない素早さで、大蛇が次々と攻撃を加える。
いくら全員が戦い慣れしているとはいえ、狭い空間では避けるのにも限度があった。
時間と体力だけが削られていく。
(どうすればいいんだ、どうすれば……)
ネスティは方策を考えるが、思考が空回りするだけ。
それがいけなかった。
「きゃっ!」
悲鳴に気づいたときには、前にいたトリスがネスティの方に倒れ込むところだった。
そのまま床の上に打ち付けられる。
「シャァァァ……」
蛇がのそりとネスティとトリスの方を向いた。
もはや敵ではないと判断したのだろう。
飛んでくる矢や投具にはかまいもしない。
「ネス、トリスっ!」
まだ立てないマグナが悲痛な声を上げる。
大蛇は鎌首をもたげ…
そのまま動きを止めた。
「……?」
全員が不思議そうに大蛇を見つめる。
大蛇の首が、己の体の方に向いた。
自然と視線はそれを追い…
「!?」
いつの間に気がついたのか。
顔面蒼白のまま、蛇の胴体に抱きついているがいた。
「バカ、逃げろ!」
「無茶よ、そんな身体で!!」
周囲の叫びにも反応しない。
しがみついているのがやっとのようだった。
蛇はそんなをしばらく見ていたが、放っておいても問題ないと思ったらしく再びトリスとネスティの方を向く。
今度こそ攻撃するため鎌首をもたげ……
「……待ちなさいよ」
から低い声が発せられた。
何だというように大蛇が振り返る。
「勝手に、手ぇ出すんじゃないわよ……」
鋭い目で、が大蛇をにらみつけた。
胴体をさらに、しっかりと抱きしめる。
「ギシャァァァッ!?」
突然、蛇が暴れ始めた。
何が起こったのか誰も理解できず、呆然とその光景に見入る。
大蛇の大暴れにもかかわらず、はしっかりとしがみついていたが。
そのうち壁に打ちつけられ、手を離してしまった。
それきり目を閉じて、ぐったりとしたまま動かない。
「シャァァァ……ッ」
蛇の胴体は、そこだけひからびていた。
餌の反撃が気にさわったか、大蛇は目標を倒れているに定める。
「いけない!」
なんとかトリスは身を起こし…
背後から聞こえてきた声に固まった。
振り向くと、ゆらりと立ち上がりながら呪文を詠唱しているネスティの姿。
うつむき加減のため、表情は読めない。
「あの……ネス?」
なにやら得体の知れない不安を感じ、トリスはおそるおそる声をかけた。
残りの面々もそれに気づいた、まさにその時。
「来たれっ!」
ネスティの召喚に応じてディアブロが現れ、大蛇目がけてレーザー砲を発射した。
「おわあっ!」
あわてて逃げ出す接近戦力。
よく見ると、完全にネスティの目が据わっている。
「あああっ、ネスがキレたぁっ!!」
マグナが頭を抱えた。
その間にもネスティの召喚術攻撃は続く。
ちゅどんっ! がががががっ! ずむっ!
銃弾が飛んだ。ノコギリが走った。ライザーが落ちた。
「ちょっとネスティ、こんな所で召喚術を使い続けたら……!」
「聞いてませんよミモザ先輩……」
「ネス、一度キレるとああですから……」
おたおたする一同の中で、すでに弟妹弟子は諦めている。
「ギシャァァァァァッ!!」
大蛇の絶叫と召喚術の轟音は、その後しばらく続いた。
「……おや?」
ふと、レイムは演奏を止めた。
竪琴の弦が、いつの間にか2、3本切れている。
「負けてしまいましたか……まあ、面白い見せ物でしたよ。ねえ?」
近くの茂みに声をかける。
答えはない。
「そう怒らないでください、殺したりする気はありませんでしたよ。困るのはお互い様です」
おかしそうに笑いながら、レイムは続ける。
そして、屋敷の方に視線を転じた。
「どうやらあなたの愛しい相棒さんも戻ってきたようですし、私はそろそろ失礼しますよ。そこまで野暮ではありませんから、ね」
それだけ言うと、レイムの姿は闇にかき消えた。
そして茂みからは、一匹の狼が出てくる。
視界に相棒の姿を認めると、小走りで彼女の元へと近づいた。
「……また、やったな?」
「あ……ばれた?」
「ばれた、じゃない。あれほど注意したというのに……」
「仕方ないじゃない。まだ、誰も失うわけにいかない」
一旦会話を切ると、アイシャは再び屋敷に視線を向けた。
悔しそうに唇をかみ、拳を固く握りしめる。
「満足でしょう、メルギトス……あの子は目覚めつつあるのだから」
「ふぁあ……」
私はあくびしながら、思いきり伸びをした。
よく寝たなあ…なんかちょっとだるいけど。
…………ん?
ぼんやりしたまま辺りを見回して…ぎょっとした。
部屋は壁に穴ができていたり、ものが壊れていたりとメチャクチャ。
なぜかみんなが、壁に寄りかかったり床に転がったりしている。
何なの一体?
私が寝てる間に何が起こったっていうの!?
「起きたか」
「うわあっ!!」
横から声をかけられたんで、ついびっくりしてしまった。
振り向くと、「失礼な」と言わんばかりのネス。
「体の調子はどうだ?」
「え?」
あ……そっか。倒れちゃったんだっけ。
「ん……平気。ちょっとだるいけど」
「……そうか」
「ところでネス、なんか眠そうだよ? また寝ぶそ……」
言葉は最後まで続かなかった。
背中に手を回され、きつく抱きしめられて。
「誰のせいだと思ってるんだ……!」
ややかすれた、でも嬉しそうな声で言われた。
「え、あ、ちょっと?どしたのネス、一体何が……?」
訊こうとして、私はネスの顔を覗き込み……
「……んー……」
床に転がっていたマグナが、もそもそと起きあがった。
そしてこちらに視線をやる。
「あーっ! ネス、何やってるんだよっ!」
マグナの叫び声が目覚ましになったか、他のみんなも目をこすりながら起きあがる。
「あれ」と目を丸くする人、怒り出す人、面白そうな顔をする人と反応は様々。
「しー……」
私は人差し指を口に当てた。
続いて、ネスをちょんちょんと指さす。
全員首を傾げながらこっちに来て、ネスを見……ぽかんと口を開けた。
「…………」
ネスは私に抱きついたまま寝ていた。
時間かかった上長くて重っ……名前変換多いし。
要は後半部のネスが書きたかったんです。キレるとことか。
文中のカイナの呪文は、天津祝詞から拝借しました。巫女さんですし。
次回はお墓参りイベント。