第63話 予兆
「つまり、気がついたらこの森にいて、話し声が聞こえてきたから行ってみれば私達がいた……というわけですね?」
こくりとうなずいて、私は彼女達を見た。
今、私に話しかけているお嬢様風の女の子がエステル。
その横でうなずいている女の人がアルミネ。
さっき、その背の翼は何だって聞いたらすごくびっくりされた。本物の天使だって聞いて、こっちも驚いたけど。
少し離れて、不思議そうにこっちを見ている赤毛の男の子がシスル。
その隣のくせっ毛の男の人が、エステルのお兄さんのジェイル。
……よし、覚えた。
相変わらず感覚は頼りなく、何も思い出すことはできなかったけれど。
人に会えて、話を聞いてくれたということがいくらかの安心感を与えてくれた。
もっとも私は精神体になっているせいで、普通の人には声も姿もわからないらしい。
だから、実際に話を聞いてくれたのはエステルとアルミネだけだったのだけれど。
でも……彼女達が見つけてくれなかったら、どうなっていただろう……?
「ほら、見えてきた」
そう言ってエステルが指さしたのは……
「……うわ……」
……かなり立派なお屋敷だった。
「お帰りなさいませ、ジェイル様、エステルお嬢様」
入り口をくぐれば、中の使用人さんが揃って頭を下げる。
うわっ、なんか緊張する……
「ジェイル様、旦那様がお待ちですが……」
執事さんっぽいお爺さんが、ジェイルさんに近づいてきた。
「父上が?」
ジェイルさんは少し考えて、
「悪い、アルミネ……エステル達、任せてもいいか?」
「はい」
「頼んだぞ」
短く告げると、ジェイルさんは奥の方へと去っていった。
「……どうするんだ?」
「私の部屋に行きましょう。あそこなら、ゆっくり話ができるから」
そうシスルに答えると、エステルはゆっくりと先頭に立って歩き出した。
私達も後に続く。
絨毯から明かりまで、かなり高そうなものばかりの廊下をしばらく行き……
「入って」
エステルが、ひとつのドアを開けた。
シスルが、アルミネが入っていき…
「……お邪魔しまーす……」
最後に私が、やや緊張しながら中に入った。
「……すごーい……」
ぐるりと部屋を見回す。
大量の本、大きなベッド。上品な感じの調度類。
いかにも「お嬢様のお部屋」って雰囲気だった。
「では、始めましょうか」
アルミネの手が、私の手を包んだ。
目がすっと閉じられる。次の瞬間、アルミネの身体がふわりと光り始めた。
あたたかい。とても安らいだ気持ちになる。
そして……懐かしい感じがした。
――私は、この感覚を知っている。
なぜか、そう思った。
いつ、どこでかは思い出せないけれど。
初めてという感じではなかった。
やがて、光が薄れていく。
アルミネが、そっと目を開いた。
そして、首を小さく横に振る。
「よくわかりませんでした……ごめんなさい」
「そう……」
ややうつむき気味に、エステルがつぶやいた。
しーん、と沈黙。
「……いいよ、そんなに気にしなくても」
沈黙に耐えられず、私はそう言った。
だけどエステルとアルミネは沈痛な表情のまま。
「でも、自分のこともわからないのは……」
「それに、あなたの体のこともあります。早く戻らないと死んでしまうかもしれません」
うっ……それは嫌。
死にたくないけど、体がどこにあるかわからないし……
「折を見て探してみるしかないですね。私からジェイルにも頼んでおきます」
アルミネの言葉に、エステルがありがとう、と頭を下げた。
それから、私に向き直る。
「……大丈夫。アルミネも兄様もいろいろな所に行ってるから、きっとすぐにあなたの体を見つけてくれるわ」
「……うん」
かすかな希望だけど。
それでも、今の私にはそれしかなかった。
「……で? 結局、どうするんだよお前は?」
ただ一人、話に参加していなかったシスルがエステルに尋ねた。
私の声が聞こえないみたいだから、混ざりたくてもできなかったのだろうけど。
「あの、シスル……」
遠慮がちにエステル。
それをシスルが手で制した。
「どうせお前のことだ。放っておけないとか言うんだろ?」
こくりとエステルがうなずく。
「なら、俺が止めたって聞かないだろ。勝手にしろ」
「……ありがとう」
なんとなくだけど、わかった。
言い方は乱暴だけど、シスルなりにエステルを心配して、大切にしているんだ。
そして、少しだけ不安になった。
私にも、こんな人がいるんだろうか?
私自身が大切にしたいと、そう思っていた人がいる……?
それから数日間。
私は記憶が戻らないまま、エステル達と過ごした。
その間に、いろいろなことを聞いた。
この世界が悪魔や鬼に狙われていること。
アルミネやジェイルさんは、そういう奴らと戦っていること。
記憶がないせいか、実感わかないけど……
それよりも気になったのは、エステルのことだった。
なぜかみんな過保護に扱うし、使用人さんはお嬢様ってことを差し引いてもよそよそしすぎる感じがする。
でもいくら仲良くなってきたとはいえ、本人には聞けないし……
お屋敷を囲んでいる、あの森の中。
とてとてと、ペンギンのような生き物が木の実を持ってやって来る。
エステルによれば、違う世界の生き物らしいけど。
「あ、木イチゴ……ありがとう」
エステルに頭をなでられて、その子も嬉しそうだ。
他にもいろんな姿の生き物が、遊んでと言わんばかりに寄ってくる。
「お前、またそいつらと遊んでるのか?」
呆れたような顔をしながら、シスルが歩いてくる。
「いいじゃない。いい子よ、この子達」
一匹の頭をなでながらエステルが笑う。
「森に行くときは俺に言えって、いつも言ってるだろ?」
「でも、シスルはおばさまに捕まっていたし」
さっきシスルが何かやったらしく、母親にお説教されていたのは私もエステルも見た。
「だったらそれまで待てばいいじゃねえか……お前に何かあったらどうするんだ!?」
「でも……」
「でもじゃねえ!」
あはは……また始まった。
最初はおろおろしていたけど、ようやく慣れた。
これがシスルなりの優しさだってわかったから。
「だけど……まだシスルはいろいろな所に行けるじゃない。私は……」
そう言ったきり、エステルはうつむいてしまった。
シスルもしまったという表情になる。
でも、すぐに笑顔を作った。
「大丈夫だ。約束しただろ? いつかお前をこの森から出られるようにしてやるって」
「そうだけど……」
…………え?
エステルって、この森から出られないの?
どうして……
「だから、お前もがんばれ。ジェイルさんみたいな召喚師になりたいんだろ?」
「……うん」
「約束、だからな」
………………?
なんだろう……今、何かが引っかかったような感じがした。
でも、それについて考える間もなく。
「あ、こんにちは!」
エステルが誰かに気づいて声をかけた。
「おや、こんにちはお嬢さん」
返事をしたのは、見慣れない男の人。
「お父上はご在宅ですか?」
「はい、今日は出かけていないはずです」
「わかりました、いつもありがとうございます」
にっこりと微笑む男の人。
その視線がゆっくりと動き……
こっちを見て嗤った、ような気がした。一瞬。
「それでは」
何事もなかったかのように、男の人が去っていく。
その姿が見えなくなったのを確認して、私はエステルに訊いた。
「あの人は……?」
「お父様のお客様。最近よく来るの。何か大事なことみたい」
「大事なことって?」
「さあ? 訊いても教えてくれなかったから」
その言葉を聞きながら、私は嫌な予感を感じていた。
あの人、私を見ていた。普通の人には見えないはずなのに。
それに、あの人……なんだか怖い……
心のどこかが騒いでいる。
あの目を、あの表情を見た瞬間から。
すごく大事なことを思い出さないといけない、そんな気がして――
読んでる人にわかるよう書けてるだろうか……(汗)
シスルがリューグっぽくなってます。元々こういう風に考えていたんですが。
最後に出てきた男は、言うまでもなく彼です。
主人公の記憶も戻らないまま、まだ続きます。