第64話 届かない約束


 さらに数日が経ち。
 精神体生活も慣れてきた。嬉しくないけど。
 いまだに身体は見つからないし。

 そんなある日のこと。

 「今日も森に行くの?」
 「うん。ずっとお屋敷にいるのって、なんだか辛くて」
 エステルが苦笑しながら言った。
 確かにね。腫れ物に触るような扱いする使用人さん達ばかりじゃ息も詰まる。

 そんなわけで、廊下で会ったシスルも誘い。
 今日もいつものように森に向かった。
 ……でも、いつも通りなのはここまでだった。







 森の中を、私達は歩く。
 いいかげん、見慣れてきた光景。なのに……

 ……なんか、おかしい。
 いくらなんでも静かすぎる気がする。
 鳥の鳴き声だってしないし……

 ………………あれ?
 前にもこんなことあったような……?

 「妙に静かじゃねえか?」
 「そういえば……」
 ようやく気づいたらしく、シスルとエステルが首を傾げた。

 「戻った方がよくない? なんか、嫌……」
 私はエステルに話しかけた。
 なぜかわからないけど、胸騒ぎがしてならない。
 ここから離れないと、と心のどこかが訴える。

 「ねえ、シスル……」
 エステルがシスルに何かを言いかけた、まさにその瞬間。
 がさがさと後ろの茂みが揺れた。

 「見ツケたゾ……オ前カ」
 低い、不気味な声。
 聞いただけなのに、背筋が冷えたような感じがした。

 おそるおそる振り返れば。
 「嘘……どうして、ここに悪魔が……」
 エステルが、呆然とつぶやく。
 姿を現したそれは、人の形をしてはいた。
 でも、背中から生えている黒い翼といいやけに冷たい瞳といい……
 人間ではない上、やばい相手だというのがわかる。

 「逃げるぞ!」
 シスルがエステルの手を引いて走り出す。
 悪魔がその後を追いかける。
 ……って、もう追いつかれそうになってる!!

 「エステル、シスル!!」
 なんとか二人を助けないと!
 私はなけなしの勇気を振り絞ると、悪魔に飛びかかり……


 …………すかっ。


 見事に悪魔の体をすり抜けた。
 だあぁっ、そういえば私精神体だから触れもしないじゃないのっ!?
 どうすりゃいいのよっ!

 「ホォ……?」
 けど、悪魔の気はとりあえずこっちにそれたらしい。
 ニヤニヤしながら、そいつは私に向き直った。

 「精神体カ……モウ一人、イタトはナ」
 探るような目で、悪魔が私を見る。
 …………怖い。
 再び恐怖心が頭をもたげる。

 「本体ガ近クニいナイヨウだガ……マあイイ。アノ方ナらオ前ヲ媒介ニ呼び寄セラレル」
 何を言っているかよくわからないけれど、危険なのは間違いなかった。
 逃げなきゃと思うのに、そこから動けない。

 がしりと手が掴まれた。
 なんで精神体の私が掴めるんだとか、振りほどかないととか考える余裕はもうなかった。
 怖い。嫌だ。
 それだけが頭の中を占めていた。

 「シバラくオトナシクしテイロ」
 悪魔が冷たい笑みを浮かべた。
 空いた方の手を掲げると、そこからばちばちと火花が散り始める。

 ぱちん、と何かがはじけた。
 「いやあぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 辺りが一瞬真っ白になった。
 ふわりと、やさしく包み込まれるような感覚。
 熱いのかあたたかいのかよくわからない熱が、堰を切ったように全身に広がり、外へと放たれて消えた。

 「グッッ!?」
 悪魔がうめきながら、あわてて私を掴んでいた手を離した。
 私から視線を離さないまま、距離を取る。

 「ばカナ……ナぜ貴様ガ……!?」
 さっきまで冷たい表情を浮かべていたのが信じられないくらいの驚きようだった。
 しばらく呆然とこっちを見ていたが…
 「……チッ」
 舌打ちすると、逃げるように走り去った。

 た、助かった……?
 私はその場に座り込んでしまった。

 でも、それも束の間。
 「きゃああああっ!?」
 女の子の悲鳴が聞こえてきた。
 そうだ……エステルとシスルが!!
 声のした方へと行こうとして……足を止める。
 向き直った先の木々が、燃えているのが見えた

 お願い、無事でいて!
 嫌な予感を振り払うように、祈りながら必死で探す。
 声からして、そんなに遠くじゃなさそうだけど……

 「きゃっ!?」
 「エステル!!」
 すぐ近くから声がした。
 そちらを見ると、転んだらしく痛そうに体を起こすエステルとそれを支えるシスルがいた。
 そして、二人ともはっとした表情で後ろを向く。

 「逃がサヌゾ……」
 悠然と二人に近づく悪魔。
 さっきのと違う…他にいたの!?

 「誰が渡すかよ……お前らなんかに!!」
 シスルがエステルをかばうようにして立つ。
 「お前は逃げろ、早く!」
 「でも……っ!?」

 その後起こったことは、ほんの数秒間の出来事だっただろう。
 でも、それは異様に長い時間に感じられた。

 「邪魔ダァ!」
 どしゅっ、と嫌な音。
 びくん、と一瞬震えるシスル。

 「え……?」
 呆然とエステルは、悪魔の槍に貫かれたその背中を見つめていた。
 ぐらりとシスルの体が崩れ落ちる。

 「シスルっ!!」
 エステルはシスルを抱き起こした。
 傷口からはとめどなく血が流れ、その顔から生気が消えていく。
 「やだっ、しっかりしてよ! ねえ!」
 でも、シスルの目も口も閉じたまま。返事は返ってこない。

 悪魔がエステルに向かって手を伸ばす。
 いけない……なんとかしないと!
 私は二人に駆け寄ろうとした。

 「許せない……」
 ぼそりとつぶやかれた言葉。
 なぜかぞっとして、私は動きを止めた。
 びりびりするような雰囲気が辺りに満ちる。

 悪魔も手を止め、凍りついたように動かない。
 ゆっくりと、エステルが顔を上げる。
 涙で濡れてはいたけれど、その瞳でしっかりと悪魔を見据えて。
 悪魔の腕を、掴んだ瞬間。

 まばゆい光が辺りを包んだ。

 「――――――っ!?」
 どくん、と。
 体から離れているはずなのに、心臓が脈打つような感じがした。

 「グギャアァァッ!?」
 追いつめていたはずの悪魔の顔は、恐怖に引きつっていた。
 その体が、ぼろぼろと崩れていく。
 そして完全に崩れたとき、光も消えた。

 な、何、今のは……!?
 驚いてエステルを見ると…彼女は悪魔の腕を掴んだ姿勢のまま、ぼーっと視線を泳がせていた。

 「エステル……?」
 おそるおそる話しかける。
 すると、彼女は弾かれたようにこっちを見た。

 「あ、よかった。無事だっ……」
 言いかけて、顔面蒼白になる。
 「シスル! どうしよう、シスルが……」
 再び涙を流しながら、エステルはがたがた震え始めた。
 横たわるシスルは、すっかり土気色になってしまっている。

 とりあえず、止血しないと。
 私がそう言おうとしたとき。

 「エステル? 何があったのですか一体!?」
 アルミネが走ってきた。
 エステルが、一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。
 「アルミネ、助けて! シスルが……」

 ぞくりと寒気がした。
 さらに間髪いれずに、
 「いけない! エステル、離れて!」
 アルミネが叫ぶ。

 「……え?」
 呆然とした声は、私だったのかエステルだったのか。

 エステルの腕を、しっかり掴んでいるのは。
 動けるはずのないシスルだった。

 シスルは何事もなかったかのように、ゆっくりと体を起こし……
 嗤った。
 いつもの彼のものではない、むしろ悪魔に似た笑みだった。
 違う、と心のどこかが告げた。
 あれは……シスルじゃない。

 「彼女から離れなさいっ!」
 アルミネが光をまといながら距離を詰める。
 シスルの顔をした何かは、すっとエステルから手を離し……
 アルミネに向かって手をかざした。


 ばしっ!


 それぞれの手から放たれようとしていた光は、相手のそれに反発し消滅した。
 二人は素早く距離を取り、再び攻撃に転じる。
 光が、雷が、風が飛び交う。
 ……すごい。
 私なんかが割り込めるものじゃない。
 アルミネも、シスルを乗っ取った何かも……強い。

 「シスルっ……!」
 それでも、エステルはそちらに駆け寄ろうとする。
 私は慌てて前に立ちはだかった。

 「バカ、何やってるの!? 死ぬ気!?」
 「でも、シスルが……」
 「気持ちはわかるけど、ダメよ! シスルは……って、ちょっと!!」
 私が言い終えるのも待たずに、エステルは私を通り抜けて走り出す。
 アルミネも、それに一瞬気を取られた。

 そいつはその隙を逃さなかった。
 「死ね」
 冷淡な声で告げると、その手の雷をアルミネ目がけて……

 「いでよっ!!」
 横からの声と共に、光る剣がそいつとアルミネの間に割り込んだ。
 舌打ちしながらシスルが飛び退く。

 「無事か、エステル!?」
 言いながら駆けてくるのは、大剣を持ったジェイルさんだった。
 そしてシスルに視線を移し、すべてを悟ったか悔しそうに唇をかむ。

 「悪魔に乗っ取られたか……」
 「ええ、残念ですが……」
 アルミネの言葉に、私は嫌なものを感じた。
 そしてそれは、エステルも同じだったらしい。

 「残念って……何!? シスルはどうなるの!?」
 「手遅れだ。弱った状態で意識を食われたんだ、助からない」
 絶望的な宣告が、ジェイルさんの口から発せられた。
 エステルはしばらく呆然と視線をさまよわせ…
 ふらり、とシスルに向かって歩き出す。

 その体を、ジェイルさんが後ろから羽交い締めにした。
 動きを封じられ、エステルがもがく。
 「いやっ、放してっっ!! シスルがっ!!」
 「ダメだ、近づくなっっ!!」
 ジェイルさんも逃げられまいと、必死で押さえる。

 「早く逃げてください! 彼はもう……」
 アルミネの声が飛んだ。
 ジェイルさんはわかったというようにうなずくと、エステルを羽交い締めにしたまま下がりだす。
 エステルも抵抗していたけど、勝てるわけがない。

 その間にも、戦況は変化していた。
 はじめは互角だったのが、だんだんアルミネが押していく。
 そして、ついにシスルが膝をついた。
 顔に浮かぶのは、明らかな敗北。

 「……やめてぇぇっ!!」
 エステルが必死に叫んだが、アルミネは止まらなかった。
 シスルの前に立つ彼女の体が、光を帯びていく。


 どくん。


 消えてしまう。
 なぜか、わかった。
 シスルは、このまま消えてしまう。
 アルミネの光に包まれて。

 光が、辺り一面に広がった。
 あたたかくて、安らぐのに……どこか悲しくて。
 私の視界の中で、シスルの体が光に溶けるように消えていく。

 「いやあぁぁぁぁっっ!!」
 エステルの悲鳴がこだました。





 光が収まったあと、そこにはシスルが存在していたような跡はどこにも残ってなかった。
 ただ、やりきれなさそうなアルミネとジェイルさん、そしてうつむいているエステルだけ。

 ひたすら痛い沈黙が続き。
 「……どうして?」
 ぽつりと、エステルが言った。
 「どうして、この森に悪魔がいたの? 私達を追いかけてきたの? なんで、シスルは助からなかったの……?」
 その目から、涙があふれる。

 「どうしてよっ!? 弱いけど、ちゃんと息もしてたのに! 悪魔に憑依されても、早いうちなら助けられるって!」
 泣きながら叫び続けるエステルに、だけど誰も何も言わない。

 ああするしかなかったかもしれない。
 だけど、心のどこかで納得してない自分もいた。

 「返して! シスルを返してっ……!!」
 そこまで叫んで、エステルは急に言葉を詰まらせた。
 苦しそうに表情を歪め、体はぐったりと崩れる。

 「エステル!?」
 「くそっ、発作が……!!」
 アルミネとジェイルさんが顔色を変えた。







 ベッドの上で死んだように眠るエステルを、私はただ見つめていた。
 そばにはジェイルさんと、お医者さんらしい人。

 「……だいぶ、衰弱しています」
 医者が首を弱く振った。
 ジェイルさんもそれは予想していたようで、「そうですか」と小さく言っただけ。

 「むしろ、ここまで生きていられたのが奇跡に近い。もう一度発作が起きたら、おそらく……」
 淡々とした医者の言葉が虚ろに響いた。

 エステルが病気だったなんて……全然、気づかなかった。
 この様子からして、治せないか、治せても難しいか……

 「……わかりました」
 酷な内容にも関わらず、ジェイルさんの表情は揺らがなかった。
 その目には、何か決意のようなものが見えた。

 二人ともそれ以上何も言わず、部屋を出る。
 廊下に出たところにアルミネがいて……ジェイルさんは足を止めた。
 医者はそのまま去っていく。

 「エステルは……」
 「今は薬で落ち着いてる。でも、次に発作が起きたら……」
 「そう、ですか……」
 アルミネはうつむいた。
 何とも言えない沈黙が漂う。

 「なあ、あいつのこと……許してやってくれ」
 やがて、ジェイルさんがぽつりと言った。
 「あいつだって、本当はわかってるはずだ。悪魔に乗っ取られた時点でシスルは死んでいた……悪魔ごと倒す以外に、解放する方法はなかったって」
 「わかっています。でも……エステルにしてみれば、そう簡単に割り切れるものではないのでしょうね……」

 目の前で消えた友達。
 永遠にかなわなくなってしまった約束。
 私は事情をよく知っているわけじゃないけど、エステルにとってそれが相当大きかったことは想像がつく。

 「……行こう。父上が呼んでる」
 振り切るように、ジェイルさんは踵を返して歩き出した。
 アルミネもついていこうとして……
 私の方を振り返った。

 「彼女を……支えてあげてください」
 それだけを言って、アルミネも行ってしまった。






 エステルの部屋に戻ると、彼女はまだ眠っていた。
 その寝顔を見つめながら、思いを巡らせる。

 私の知る限り、エステルの唯一の理解者で人間の友達がシスルだった。
 そのシスルが目の前で死んで、エステル自身ももう長くはない。
 運命の理不尽さに腹が立った。

 「……どうしたの?」
 ベッドからか細い問いかけが飛んでくる。
 見ると、エステルがベッドに横たわったまま、目を開けてこっちを向いていた。

 「あ、起きたんだ……」
 「うん、ごめんなさい。いきなり発作起こしたからびっくりしたでしょう?」
 「うん……」

 会話が途切れる。
 えと……どうしよう。
 なんか、気まずいけど……無難な話題が出てこない。
 心の中でおろおろしていると。

 「シスルは、ね」
 ぽそりと、エステルが口を開いた。
 「おばさまが私の世話係だったということもあって、物心ついたときには当たり前のようにそばにいたの。私は体が弱かったから、よく動くような遊びはできなかったけど……それでもよく相手をしてくれたの」
 それはなんとなく想像することができた。
 そういえば、シスルは時々お兄さんぶるようなことがあったような気がする。

 「昔、こんな体だから兄様達の力になれないのが悔しくてね。シスルにもよくあたってたけど……言ってくれたの。俺が絶対、お前の病気を治す方法を探してやる。自由に動けるようになったら、二人で手伝おうって。嬉しかったな……」
 話を聞きながら、私はいつかの二人の会話を思い出していた。
 「この森から出られるようにする」って、エステルの病気を治すって意味だったんだ……

 「でも……私は何もできなかった。召喚術を使えるくらい体が強かったら、傷をふさぐくらいは……悪魔に殺されることもなかったかもしれないのに……知識だけしか、私にはない……」
 エステルの目に、涙がにじんでくる。
 彼女は、あの時の悪魔をどうしたか覚えていないのだろうか。
 それを言おうか考えて……やめた。そんなのは今更だ。

 「私を狙ってきたのに……シスルは死んで、私はまだ生きてる……私はっ……」
 それ以上、言葉は出てこなかった。
 ただ、エステルの嗚咽だけが聞こえる。

 「でも、シスルは……あんたが生きていくことを望んでると思うよ」
 エステルが顔を上げた。
 しばらく凍りついたように私を見つめていたけど…

 「うっ……シスル……シスル……っ、あああああああっ!」
 シスルの名前を呼びながら、エステルはまた泣き出した。

 私はそんな彼女の頭をそっとなでた。
 彼女に触れられない私では、意味のない行為だと知りながら。



←back index next→

ごめんシスル……こういう役で。
張りまくった伏線の一部、ようやく使えました。多少変えましたが、ほとんどそのままです。
内容に関しては……ノーコメント。余計重くなりそうなので……
次回、いよいよ役者が揃います。