第65話 記憶の鍵
風に揺れる梢が、窓から見える。
その向こうには、抜けるような青空。
「元気かな……みんな」
そんな風景を見ながら、ぽつりとエステルはつぶやいた。
「ずいぶん遊びに行ってないけど、どうしてるかな?」
「エステル……」
彼女はあれから森に行っていない。
正確に言えば、ベッドで寝ていることの方が多くなった。
気分がいいときに、玄関先まで行くくらいだ。
それだけ病状は悪化していた。
体がないのがもどかしい。
外へ連れていくことも、「友達」を連れてくることもできない。
私にできることといえば、話し相手になってあげるだけだ。
「そ、そういえば、召喚術って他の世界から生き物を呼ぶんだよね? どういうのがいるの?」
苦し紛れの話題に、でもエステルは笑って答えてくれた。
「いろいろいるわよ。例えば、ロレイラルからは……」
こんこんと、ノックの音がした。
「はい?」
エステルが返事をすると、ゆっくりとドアが開く。
「あの、すみませ……?」
向こう側からの声が、不自然にすぼむ。
そこにいたのは、見たことのない男の子。
歳はエステルと同じくらいだろうか?
黒い髪、黒い目。真面目でおとなしそうな感じだ。
やがて、困ったように男の子が口を開いた。
「ええと……ここ、ジェイル様の部屋じゃありません、よね……?」
「え? 兄様のお部屋は手前の方だけど……?」
「兄様って……まさか、お嬢様……!?」
男の子が息をのんだ。
「し、失礼しましたっ!」
「あ、待って!」
慌ててドアを閉めようとした男の子を、エステルの声が止めた。
それでも、男の子はおそるおそるといった感じでこっちを見ている。
「ここの人じゃないわよね? 私、あなたを見たことないわ」
「はい……三日前から、客人としてお世話になっています」
「お客様? ……ああ、あなたがお父様の新しいお客様ね!」
ぽん、と手を叩くエステル。
お客?
……あ、そういえばこの前ジェイルさんがそんなこと言ってたような。
確か「ある人達に手伝いをしてもらうことになった」とかなんとかって……
「なら、しばらくここにいるのよね?」
「え? あ、はい」
「時間ある時でいいんだけど、もしよかったら……」
「おいおい、なに妹の部屋で硬直してるんだよ?」
どこかのんきな声が割り込んできたのはその時だった。
男の子はぎょっとした表情を浮かべると、180度方向転換して声の主に向き直る。
「ジェ、ジェイル様! すみません、僕……」
「兄様? 私が引き止めたの、彼を怒るのは筋違いよ」
エステルがやんわりと援護する。
「そんな顔するなよ、別に文句があるわけじゃない」
そんな二人を見ながら、ジェイルさんは苦笑を浮かべた。
「どうせお前のことだ。外の話を聞かせてくれ、って頼もうとしたんだろう?」
あ……
確かに記憶喪失の私や、忙しいジェイルさんでは話題なんてたかが知れてる。
「そうだな……俺からも頼む。妹の話し相手になってやってくれないか?」
「えっ!? あ、いや、その……」
頼まれた側はといえば、告白現場を見られたような狼狽っぷり。
「大丈夫だよ。こいつはお前が人間じゃないからって、冷たくする奴じゃないって」
ジェイルさんが安心させるように言った言葉が、気になった。
人間じゃない?
どう見ても、普通の人間に見えるけど。
エステルはちょっと困ったように彼を見た。
「私の友達なんて……嫌?」
うっ、と言葉に詰まる男の子。
しばらく迷うように考え込み…
「わかりました、お嬢様……僕なんかでよろしければ」
「『お嬢様』はやめてよ」
「は、はい……エステル様」
「『様』も禁止! 敬語もよ、わかった?」
「は……いや、わかった、エステル」
二度に渡る訂正に、とまどいながらもうなずく男の子。
エステルは満足したように微笑んだ。
「これからよろしくね、えーと……あ、名前をまだ聞いていなかったわね」
「セーファス……セーファス・ライル」
なぜか、胸がざわりとした。
「ライル」という言葉が、どこかに引っかかって離れない。
「セーファスかあ……ねえ、ファスって呼んでもいい?」
そんな私にお構いなしで、屈託のない声が続く。
「え? あ、ええと……」
再びとまどうような表情を浮かべながらも、セーファスはうなずいた。
それを確認すると、エステルは本当に嬉しそうな笑顔で手を差し出した。
「よろしくね、ファス!」
――ご指導よろしく、……
…………え?
今のは……?
ふと頭に浮かんだものを必死に思い出そうとするけど、何も出てこない。
もしかしたら、何か思い出せるかもしれないのに!
「どうしたの?」
「え?」
横から声をかけられて、私は我に返った。
そっちを見ると、エステルが心配そうに私を見ている。
ジェイルさんとセーファスはすでに行ってしまったらしく、いない。
「ずいぶん真剣な顔していたけど……」
「あ、ごめん。何か思い出せそうな気がしたんだけど……」
正直に言ったら、エステルに驚いた顔をされた。
「え? それで……思い出せたの?」
「ううん、全然……」
「そう……」
エステルは自分のことのように肩を落とした。
でも、すぐ思いついたように、
「だけど、思い出せそうだったってことは……何かきっかけがあったってことよね?」
「だと、思うけど……」
「そうね……あなたは外の人だし、ファスの話を聞けば何か思い出すかも」
そうかな……?
確かにこの森の外のことって、少なくとも記憶をなくしてからは知らないけど。
でも、他に手がかりになりそうなものがないのも事実だった。
なんだか騒がしい。
今日も特にすることがなくて、エステルととりとめのない話をしていたけど。
焦ったような声や物音が、さっきから聞こえてくる。
「何があったのかな?」
エステルが首を傾げる。
「……ちょっと見てくる」
私も何があったのか気になるし。
今日はエステルの体調があまりよくないみたいだから、無理をさせたくない。
早く戻ってきてね、という声を背にして私は部屋を出た。
えーと……
辺りを見回して、騒ぎの中心と思われるところを探す。
……こっちかな?
とりあえずの見当を付けて、私は歩き出す。
途中で走ってきた召使いさん達が、何人か私の体をすり抜けていった。
玄関ホールまで来ると、小さな人だかりが見えた。
人の輪をすり抜けて、その真ん中へと……
「……!?」
そこに横たわっていたのはセーファスだった。
悪魔か何かにやられたのか、胸に大きな切り傷がある。
でも、それよりも。
そのまわりに見える、普通ならないはずのもの。
「機械……!?」
白い肌に混じって、金属の部品が見える。
ロボットやサイボーグという単語が浮かんだけど、すぐに打ち消した。
よくわからないけど……違う。
そんなものじゃないと、私の中で何かが告げる。
(融機人――)
…………?
べいがーって、何だっけ?
出てきた単語をどうにか頭に留めながらも、私は確信のようなものを感じていた。
私は、彼を知っている。
……ううん、違う。彼の身体を知っている。
彼と同じ身体を持つ、誰かを知っている。
……誰?
「ファス!?」
飛び込んできた聞き慣れた声が、私を現実へと引き戻した。
人の輪の一部が割れて、そこから出てきたのは……ジェイルさんに支えられたエステルだった。
「あ……」
うっすらと目を開けたセーファスは、でもすぐに辛そうに目を伏せた。
「……兄様! プラーマを……リプシーでもいいから貸して!」
必死に訴えかけるエステルに対し、ジェイルさんは首を横に振った。
「ダメだ。お前だってわかっているだろう、その体で召喚術を使うなんて自殺行為だぞ」
「でも!」
半泣き顔になりながらも、エステルは食い下がる。
そうしている間にも、セーファスの顔は青白くなっていく。
出血がひどい……このままじゃ……
最悪な想像を振り払おうとしても、うまく消えてくれない。
「嫌よ……また、助けられないなんて……」
か細い声が、切なく響く。
「誰か……誰か、助けてよっ!!」
――――……
(……え?)
一瞬だけ、誰かに呼ばれたような不思議な感覚がした。
続いて、光が辺りを満たす。
「な……!?」
その発生源が自分の服のポケットだと気づき、ジェイルさんが驚きの声を上げた。
そこにうっすらと見えるのは、紫色の…石?
目の前の空間が歪んだように見えたと思ったら、そこにふわりと人影が降り立つ。
「嘘だろ……どうして、勝手にプラーマが……」
呆然と立ちすくむジェイルさん達をよそに、突然現れた女の人がセーファスに向かって手を差し出した。
そこからこぼれる光が傷口を包む。血が止まり、傷がふさがっていく。
傷と光が完全に消えると、女の人も微笑みを浮かべて消滅した。
どさりと鈍い音が、すぐ近くからした。
「おい、エステル!?」
振り返ると、エステルが床の上に崩れ落ちていた。
ジェイルさんが慌てて抱え起こすけど、気を失っているのかぐったりして動かない。
「ここは任せる!」
ジェイルさんはそれだけ言うと、エステルを抱えて歩き出した。
その手足が力なく揺れる。
「……まさか……」
聞こえてきたつぶやきは、やけに硬い声だった。
「ん……」
エステルがようやく目を覚ましたときには、もう日は落ちていた。
窓から紺色に染まりつつある空と、絵に描いたような三日月が見える。
「あ、気がついたんだ? 大丈夫、どっか痛いとことかない?」
「別に何とも……」
言いかけて、エステルははっとした顔になった。
「ファスは!? 無事なの!?」
「え、あ……」
……そういえばいきなり倒れたエステルの方が心配で、彼の様子を見に行くのすっかり忘れてた。
傷はふさがったから、死んでないとは思うけど。
そこに割り込むノックの音。
「エステル? 起きてるか?」
この声は……ジェイルさん?
「なあに、兄様?」
エステルの返事から、少し間をおいてドアが開く。
でも、入ってきたのはジェイルさんだけじゃなかった。
「ファス!? よかった、無事だったのね……」
ほっと胸をなで下ろすエステル。
ジェイルさんに支えられてかろうじて立ってるって感じのセーファスだけど、さっきに比べたら顔色はいい。
「倒れたって、聞いたから……大丈夫か?」
「平気よ。ちょっと疲れただけだから」
気を使ってるのかなとも思ったけど、エステルの顔色は比較的いい方だ。
特に苦しんでる様子もなかったから、発作とかじゃないんだろう。
そう考えることで、わき上がろうとしている不安を封じ込めた。
しばらく沈黙が続き。
「……見たんだろう?」
ぽそりと口を開いたのはセーファスの方。
こくりとエステルがうなずいた。
「なんで……怖がらないんだ?」
一瞬、意味がわからなかった。
ひらめいたのは、あの時疑問に思ったこと。
『お前が人間じゃないからって、冷たくする奴じゃないって』
つまり、セーファスが気にしていたのは。
人間じゃないという事実が、彼に与えてしまった傷は。
「どうして?」
一方のエステルは、これまた心底不思議そうに尋ね返す。
「なんで私が、ファスを怖がるの?」
「なんでって……」
この反応は予想外だったのか、言葉を探すように黙り込むセーファス。
そんな彼をじっと見つめ…エステルは、ふわりと微笑んだ。
「人間とか人間じゃないとか、そんなのは関係ないわよ」
「……え?」
「ファスは私の友達。そうでしょう?」
そして。
驚いて立ちつくすセーファスの手を、エステルはそっと取った。
「本当に……無事でよかった」
安心しきった表情で、エステルは目を閉じた。
それは祈りのようで。
「……ありがとう」
泣き笑いしながら、セーファスは手を握り返した。
私もジェイルさんも、何も言わずにその光景を見守っていた。
浮かんでくるのは、あたたかくて……少し懐かしい気持ち。
だけど、なんでだろう。
同時に、どこか不安になってしまうのは。
その時の私には、まだわからなかった。
主要人物、ようやく全員出せました。
ちょっと思い出せてきたはいいけど……全部ネス関連(汗)
ここも少し引用してます。どこが何話に出てきたか気づきましたか?
次回、ついに……