第66話
第66話 起こってしまった話


 たわいない会話に混じって、音が聞こえる。
 紙に木炭がこすれる音。

 「でも、本当にいいの? 私なんか描いてて」
 「そんな言い方しないでくれ。僕が、君を描きたいんだ」
 言いながらも、セーファスの手は一人の少女を描いていく。
 エステルの肖像画。
 まだ下書きみたいだけど、結構うまい。

 コンコンとノックが響いた。
 「はい?」
 ドアが開いて、顔を覗かせたのは案の定ジェイルさんだった。
 「悪い、セーファス。ちょっと……」
 「あ、はい」
 どうやら「手伝い」が入ってしまったらしい。
 ここ数日で、私もエステルもそれがわかっていた。

 「ごめん、エステル。続きはまた後で」
 「うん。お仕事がんばってきてね」
 エステルに見送られ、セーファスがドアの向こうへと去っていく。

 エステルが少し寂しそうな笑みを浮かべた。
 「兄様もファスも、このごろ忙しそうね」
 「うん……」
 ぼんやりうなずいてから、ふと私はあることを思いだした。

 「そういえば、最近アルミネ見ないわね」
 あ、とエステルが小さく声を漏らした。
 確か、シスルが死んだあの日から会ってないような気がする。
 考えてみれば、他にも気になることはある。

 「アルミネって、ケガ治す力があったよね?」
 「うん、天使はたいてい持ってるみたい」
 「セーファスがケガしたとき、なんでアルミネを呼ばなかったのかな?」
 あの時はセーファスの体とか、出てきた記憶とかでそこまで気づかなかったけど。
 包帯とかで応急処置するより、アルミネの力を使った方が早そうなのに。

 「サプレスに帰ったのかな?」
 「うーん……」
 「後で兄様に聞いてみるわ」

 でも、結局二人ともその日は戻ってこなかった。







 空は重たそうな曇り空。
 今にも降りそうだ。

 「なんか降りそうね……具合は大丈夫?」
 「うん、今日はだいぶいいわ」
 エステルが、弱く笑う。

 「ジェイルさん達、今日も早くから出ていったみたいだけど……」
 首を傾げながら私。
 最近ジェイルさんやセーファスだけじゃなく、他にも何人かが早起きして外へ出ていくことが増えた。
 そして、夜遅くまで帰ってこない。

 「アルミネがどうしているかも、全然聞いてないし……」
 何かあったのなら、ジェイルさんが黙ってるはずないと思うんだけど。
 あ、でもエステルがショック受けないようにっていうのはあるかも……

 エステルは少し、考えていたようだけど。
 「まあ、ちょっとくらいなら……いいわよね?」
 一人で何やら納得すると、引き出しまで歩いていって何かを取り出した。
 金色に光る、それは。

 「……羽根?」
 「ええ、アルミネの羽根。だいぶ前に、お守りだってもらったの」
 アルミネの、羽根……
 どうしてだろう? なんだか既視感が……

 エステルは羽根をそっと両手で包むと、目を閉じた。
 「エステル?」
 何してるのかと思ったけど、邪魔するのも悪い気がしてそのまま見守る。
 心なしか、羽根を包む光が強くなったように見える。

 「……?」
 ふと、目を閉じたままのエステルが怪訝そうな顔をする。
 その表情が、だんだんこわばっていった。
 「何、これ……どういうこと……?」
 どういうことって、こっちが聞きたい。
 説明を求めようとしたとき、エステルが目を開けた。
 そのまま立ち上がり、ドアの方へと歩いていく。

 「ちょっ、エステル!? どこ行く気!?」
 「あの建物に、行かないと……確かめないと……!」
 あの建物? 確かめる?
 何のことかわからないけど、ただごとではなさそうだ。
 だけど。

 「いくら体調がいいからって無茶よ!」
 いつ死んでもおかしくないって言われてるのに!
 「でも、アルミネが! 大変なことになっているかも知れないのよ!」
 「……っ」
 これが本当に、病人のものだろうか。
 せっぱ詰まった顔と声に、私はそれ以上何も言うことはできなかった。





 森の中では、幸い悪魔とかには出くわさなかった。
 ただ、なぜか胸騒ぎがする。

 それは向かう方角に妙なものを見つけたとき、さらに強くなった。
 木の海から頭を出している、銀色のもの。
 あれがエステルの言っていた建物だろうか?
 でも、それにしてはどこか不自然な感じがする。

 やっとそこにたどり着くと、ようやくその違和感の正体が分かった。
 つるりとした金属に覆われた、高い塔。
 窓はおろか、入り口らしいものもない。

 「なんで……いつの間に、こんなものが……?」
 呆然とエステルがつぶやく。
 「心当たりはないの?」
 「そんなこと言っても……この森には私達しかいないはずよ。クレスメントの関係者しか……」
 私とエステルが二人して考え込んだときだった。


 ぶぅぅん……


 『声紋チェックならびに魔力の波動……全て、ライブラリと一致しました……』
 いきなり、場違いなほど落ち着いた声が割り込んだ。
 エステルが驚いて辺りを見回す。
 『あなた様を「調律者」クレスメントの一族であると認めます』

 調律者……?
 聞いたことあるような……どこで?

 『当研究施設内部へ転送いたします……』
 声がやんだと思ったら。
 「きゃっ!?」
 光がエステルの上に降り注いだ。

 「エステル!?」
 自分の状態も忘れて、思わず私はエステルの手を掴もうとした。
 手に触れるか触れないかというところで、奇妙な浮遊感に襲われる。

 前にも……こんなことがあった。

 そんなことを思った瞬間、視界が暗転した。





 すぅ……と目の前が晴れてくる。
 森の中にいたはずなのに、私は廊下に立っていた。
 金属で覆われているところを見ると、あの塔の中だろうか。

 「う……」
 足下から声がした。
 見ると、エステルが頭を降りながら体を起こしていた。
 そのぼんやりした瞳が私をとらえ……どこか困惑した表情を浮かべる。
 「? どうしたの?」
 「あ、ううん……なんでもないの」
 ちょっと慌てたように言うと、エステルはぐるりと視線を巡らせた。

 「ここは……?」
 「多分……あの建物の、中」
 なにもかもが突然のことなのに、私はひどく落ち着いていた。

 「……とりあえず、出口を探そう」
 私の提案に、エステルはうなずいた。
 知らない場所に放り込まれたせいだろうか、不安そうに辺りを見回している。

 なんか……変な感じ。
 どこがどうって、うまく言えないけど。

 「きゃっ!?」
 エステルが悲鳴を上げた。
 「何、どうしたの!?」
 「あ、あれ……!」
 エステルが指さす先には、不気味なものがあった。
 金属部品が体に埋まっている、血と油の匂いのするもの。

 ――召喚兵器……ゲイルよ……
 ――召喚獣の体に機械をとりつけて作られた生きた兵器……


 「召喚兵器……ゲイル……」
 「え?」

 ずらりと並んだそれには、確かに見覚えがあった。
 誰かがそれについて言っていたことも、ぼんやりと思い出す。

 「私……これ、知ってる。見たことある……」
 「……!? どういうこと!?」
 「わからないよ……」

 どこでこれを見たんだろう。
 誰から聞いたんだろう。
 出てきそうなのに、もうちょっとのところで引っかかってるような、そんな感じ。

 「……? 何か聞こえない?」
 ふと、エステルが不思議そうにつぶやいた。
 言われて耳をすませてみるけど、不気味なほど静まり返っていて何も聞こえない。

 「何も聞こえないけど?」
 「ううん、確かに聞こえる……こっちの方!」
 言うなり、エステルは方向転換して歩き出した。
 本音は走っていきたいのか、やけに急ぎ足で進んでいく。
 「ちょっと、どうしたの? 聞こえたって……」

 『痛いよ……』

 え?
 聞こえてきた声に、私は言葉を止めた。
 今のは、誰?
 でも、それで終わりじゃなかった。

 『助けて』
 『ヤメロ』
 『嫌だ』

 「な、何これ!?」
 悲痛な声がいくつもいくつも、助けを求めて泣いている。
 あたりには誰もいないのに、それらははっきりと聞こえてくる。
 エステルがこっちを見た。

 「聞こえるの? この声が……」
 「声って、痛いとか助けてとか言ってる?」
 エステルがうなずいた。
 「人の声じゃないわ。多分、ここで死んだ……」

 『いけません、これ以上は……!』

 「……え?」
 今聞こえたそれに、私達は顔を見合わせた。
 この声は。まさか。

 「アルミネ……?」
 どうしてこんな所で彼女の声が。
 その思いは、一気に嫌な予感へと結びついた。

 エステルもそう思ったのだろう。
 顔面蒼白になると、いきなり走り出した。
 「あ、待って! そんな体で走ったら……!」
 慌てて声をかけるけど、聞いちゃいない。

 仕方ないので追いかけて、追いついて。
 汗をびっしりかいて苦しそうにしながら、それでも必死に走り続けるエステルを見る。
 ぼんやりと、誰かの姿がだぶった……気がした。

 やがて、一つのドアの前で彼女は止まった。
 しばらく荒い息をついていたけれど、少し落ち着くとドアを調べ出す。

 「この向こうから、みたいだけど……どうやって、入るの……?」
 「やっぱりスイッチとか……あ」
 答えかけて、私はそれらしいボタンを見つけた。
 「あれを押すんじゃないかな?」
 私が示すものを、エステルはゆっくりと近づいて押した。
 ピピッと音がして、ドアが左右に割れる。

 「……っ!?」
 誰かが息をのむのが聞こえた。
 「エステル!?」
 続いて、ジェイルさんの声。

 でも、それよりも。
 私は目の前のものから目が離せなかった。

 明かりに照らされているアルミネ。
 薄く開かれた目は、生気がなく濁っている。
 そして、ほとんど服をまとっていない体のあちこちには機械がついていた。

 「どうして? どうしてこんなことするのよ……?」
 エステルの声が、虚ろに響いてくる。
 答えは返ってこない。
 「なんとか言ってよ、ねえっ!? アルミネに何したの!?」

 覚えが、あった。
 目の前のアルミネの姿も、すぐ側で聞こえる叫びも。
 この部屋で、見た。浮かんできた。

 それから堰を切ったように、いろいろな記憶が流れてきた。
 リィンバウム、クレスメント、ライル、ゲイル……
 そうだ、思い出した……私……
 遺跡の前でゲイルの自爆に巻き込まれて……!?

 って、ちょっと待った。
 だったら今まで見てきたものは?
 アルミネがいて、そのアルミネが今ゲイルにされていて。
 クレスメントやライルって名乗る人がいて。
 その人達が目の前で遺跡を動かしていて。
 でもそれって大昔のことのはず。

 まさか、ここってもしかして。

 「……召喚兵器、だよ」
 ジェイルさんが、力なく言った。
 「アルミネは……兵器として造り変えた。悪魔達に対抗するために」
 苦しそうな表情で話すジェイルさん、呆然と立ちつくすエステル。
 既視感と戻った記憶に、胸が痛んだ。

 そう、私は知っていたんだ。
 こうなるって、知っていたのに。

 私はアルミネに近づいた。
 「ごめん……」
 悔しかった。
 忘れていたのが、何もできなかったのが。

 じわりと涙が浮かんだ。
 「ごめんね……私は知っていたのに。こうなるって知っていたのに……!」
 アルミネに謝りながら、私は泣き続けた。

 エステルが倒れ、屋敷へ運ばれていった後もずっと。







 「……それが、彼女達を見た最後でした」
 アメルの言葉が、そこで終わる。
 誰も、しばらく何も言えなかった。

 「でも……本当にその子、ちゃんだったの?」
 ミモザが困惑気味に問う。
 「ええ。思い出した瞬間、わかったんです。あれは彼女だ、って」
 はっきりとうなずいて、アメルは目を伏せた。
 泣きながら謝っていたが、昨日のことのように思い出せる。

 「でも……だったら、なんでが精神体でそんな大昔にいたのかしら? 記憶までなくして」
 首を傾げながらミニスが言う。
 「それに、の体は? 精神体の状態でそんなに何日も長くいられるはずはないわ。体の方が弱って死んでしまうもの」
 ルウも首をひねる。

 「それなんだよな……結局、どこに……」
 言いかけて。
 フォルテは見事に固まった。
 「……ちょっと、質問いいか?」
 手を、彼にしては控えめに挙げる。
 その顔は、心なしか青ざめている。

 「精神が離れてる間、体ってどうなってるんだ?」
 「見た目は眠ってるようだけど……精神のない抜け殻だから、精神が戻らない限り絶対に起きない……」


 しーん。


 嫌な沈黙が、辺りを支配した。
 ルウも説明を中断して固まっている。

 「なあ……俺、今とんでもないことを考えているんだが……」
 気まずそうにフォルテ。
 だがその先は告げられず、誰も促そうとしない。

 沈黙に、そろそろ何人かが耐えられなくなってきたとき。

 「ふざけんじゃねぇっ!!」
 この場にいない一人の声が、大音声で聞こえてきた。
 続いて乱暴にドアが開けられる音と、どかどかと荒い足音が複数。

 「……なんだ?」
 「今の、バルレルの声じゃ……」

 全員が何が起こったのかを理解する間もなく。
 再び足音が聞こえ、通り過ぎていった。

 「どうしたんでしょう?」
 「ちょっと見てくるわ」
 ケイナが小走りで廊下へと出ていく。
 そしてしばらくの間をおいて。

 ばんっ、と。
 今度はこちらのドアが大きな音を立てた。

 「大変! マグナ達がいないわ!」

 再び、全員が凍りついた。



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ようやく記憶戻りました。
でも、あっちもこっちも大変なことに。
特に主人公。はたして現在に、そして体に帰れるのか!?
やはり長くなった話ですが、もう少しおつきあいください。