第67話
第67話 未来に託して


 ここ数日、お屋敷の中は慌ただしかった。
 人が走る音、何かが運ばれていく音。

 そんな中にあって、ここだけは切り取られたかのように静かだった。
 ベッドに横たわる、エステルの呼吸が唯一の音。

 あの日、発作を起こしてから。
 彼女は日に日に弱っていった。
 ……もう私の目にも、死の影が迫っていることがわかるぐらい。

 「……ごめん」
 もし、ここに来たとき記憶をなくしていなかったら。
 私は何かできたのだろうか。

 何度も考えた。
 でも、それはそれで辛かったかもしれない。
 レルムの村の時のように、ローウェン砦の時にように。
 知っていても、結局何もできなかったかもしれない。
 できたとしても、その結果未来を変えてしまうことだってあり得る。
 それがハッピーエンドにつながるなんて保証もない。

 ……どうするのが正しいんだろう?
 やっぱりわからない。



 こんこん。
 ノックから少し間をおいて、ドアが開いた。

 「エステル? ……眠っているのか?」
 入ってきたジェイルさんは軽装鎧を着ていて。
 腰にも剣や短剣を下げていて、やけに物々しかった。

 「お前は、もう俺達を許してくれないだろうな……」
 ジェイルさんは寂しげな笑みを浮かべながら、ベッドで眠るエステルを見下ろした。
 「せめて……」
 つぶやきながら、ジェイルさんは拳を硬く握りしめた。
 何かを決意したような表情で続ける。
 「せめて、お前を苦しめる原因を作った奴だけでも……」
 ぎり、と歯ぎしりの音が響いた。

 ……苦しめる原因を作った奴って……!
 「ダメ! 行っちゃダメだよ!!」
 思わず、声を出して叫んだ。
 ジェイルさん達は、これからメルギトスと戦いに行くんだ。
 でも、行ったら血識や魔力を奪われてしまう。
 都合よく作られた歴史のために、罪人にされてしまう……!

 「はは、ダメだよな俺……兄失格だよ……ごめん」
 自嘲的に笑うと、ジェイルさんは部屋を出ようとした。
 「ダメだってば! あいつにやられちゃうよ!!」
 再び叫んでから、そういえば声も聞こえていないんだと気づく。
 どうして、どうしてなにもできないの!?

 ぴたりとジェイルさんの足が止まった。
 「そういえば、お前が会ったって精神体の女の子、どうしたかな……もう行ってしまったか、それともまだそこにいるのか……」
 ゆっくり振り向いたジェイルさんは、少し困ったような顔で。
 どことなく、マグナに似ていた。

 「話、してみたかったな……」
 それだけ言うと、今度こそ振り返りもせず部屋の外へと出ていった。

 涙があふれてきた。
 この先を、結末を知っているのにどうすることもできない。
 それが正しいことかもしれないけど。
 感情は、そう簡単に納得してくれない。

 「……兄様?」
 か細い声が、かろうじて聞こえてきた。
 ゆっくりと、エステルが目を開ける。
 「……? 泣いて、いるの……?」
 「あ……」
 なんとか泣きやもうとしたけど、涙が止まらなかった。

 エステルが手を差し出す。
 「……手、繋いで?」
 ふりだとわかっていても断れなくて、私は手を伸ばした。
 エステルの手に触れようとしたとき……

 「え?」
 私の手に、ややひんやりした感覚が伝わってきた。
 エステルの手が、私の手を握っている。
 触れないはずの、手を。

 「ごめんなさい……私、嘘、ついてたの……」
 途切れ途切れになりながら、エステルはすまなさそうに言った。
 「私、触れるの……幽霊さんや、あなたみたいな精神体でも……」
 「触れるって……」

 エステルが目を伏せた。
 「あの時……初めて会ったときに手を繋いでもらったときから、本当は薄々だけどわかってた。私、触ったものの時間を視てしまう力があったから……あなたが今とは違う時間から来たんだって、わかってた……」
 言葉の意味が、じわじわと伝わってくる。
 つまり…エステルは私がこの時代の人間じゃないって、気づいていたってこと?

 「でも、二回目のときは……驚いたわ」
 「二回目?」
 「あの、機械の塔に……入る直前」
 あ、そういえばあの時も手を握ろうとしたんだ。

 「同じ塔がぼろぼろで建っていたし……一緒にいた人に、ファスと同じ人がいた……」
 セーファスと同じ、って…
 「ネスのこと?」
 「名前まではわからないわ……見えたのは、ぼろぼろの塔とその人と……あと、アルミネそっくりの天使だったから」
 「え……」
 「ねえ、教えて……彼女は、アルミネなの……?」
 考えた末。
 私は、首を縦に振った。

 そして私は、簡単にだけどすべてを話した。
 マグナ達のこと。
 ネスのこと。
 アメルのこと。
 そして、機械遺跡のこと。

 「そう……ありがとう、話してくれて」
 話の内容にも関わらず、聞き終えたエステルの顔はむしろ晴れやかだった。
 「アルミネも、みんなも苦しむのね……でも、あなたがいるのなら大丈夫よね……」
 言いながら、エステルの目がうつろになっていく。
 「なんか、安心したら眠くなってきちゃった……」

 そこで初めて、気づいた。
 エステルの体温が、失われていく。
 血の気もほとんどなく、人形のように白い肌。
 多分、もう彼女は……

 「ごめん。ごめんね、私……」
 涙が頬を伝う。
 これは……彼女の発作が起きたのは、私のせいでもあるんだ。
 私があの時、無理矢理にでも止めていれば……

 手が、強く握られた。
 「いいの……私だって、黙っていたから……あなたが……帰ってしまうのが怖くて、力が制御できないって……自分に言い訳してた……お互い様、よ……」
 エステルが、力なく笑う。
 もう、話すのも辛そうだった。

 ふと、もう一つ言っておくべきことがあったことに気づいた。
 「……
 「え?」
 「私の名前。、よ」
 「……」
 小さな声で復唱し。
 エステルは嬉しそうに笑った。

 「もし、未来に帰れたら……最後に……頼みたいこと、あるの……」
 「うん……」
 私がうなずくと、エステルは必死に言葉を紡いだ。
 「おね、がい……止め、て……クレスメントの……過ちを……もう、あなたにしか……頼め、ないから……」

 断れるわけ、なかった。
 マグナもトリスも、ネスやアメルも助けたい仲間だから。
 エステルの、最後の頼みだから。

 「うん、約束する。もう、繰り返させない……」
 「あり、が……」
 すぅっとエステルのまぶたが閉じられる。
 手が力を失って、ベッドの上に落ちる。
 呼吸ももう聞こえない。
 ……安らかな、顔だった。

 「……絶対に、終わらせるよ」
 エステルのためにも。
 マグナ達のためにも。
 そして……巻き込まれてしまったみんなのためにも。

 まずは、マグナ達のところに帰らないと。
 でも、どうやって……

 考えていると、突然部屋の中が明るくなった。
 「……?」
 窓の外が……光ってる?
 なんだろうと、窓に近づこうとすると。


 どかぁぁん……!


 爆発音の後、光が薄れ始めた。
 窓の外を見ると、森から煙が上がっている。
 木も、そこだけなくなっていた。
 まさか、アルミネの暴走……!?

 ってことは、もうすぐメルギトスが血識を……!
 できることはないかもしれないけど……急がないと!
 私は部屋を出ようとして……足を止めた。

 「……アルミネ?」
 ぼんやり光っていて、向こう側が透けてはいたけど。
 横たわっているエステルの手を取って、悲しそうな顔で立っていたのは紛れもなくアルミネだった。
 その視線が、ゆっくりとこちらを向く。

 「   」
 え?
 なんて言ったの?
 「聞こえないよ……!」

 もっとよく聞こえるようにと耳をすませた途端。
 耳鳴りのような音が聞こえてきた。

 『……なさい……』
 それに混じって、女の人の声。
 聞き覚えはない。だけど、なぜか懐かしさを感じる。

 『ごめんなさい。あなた達にまで運命を押しつけてしまった……』
 …………え?
 それは、どういう……

 「あ……」
 私の体が、ぼんやりと光り出した。
 宙に浮くような感覚がして、意識がすぅっと遠ざかる。

 『……今は、お行きなさい。あなたのいるべき所へ。なすべき事は、そこにあるのですから……』
 不思議と安らいだ気分になっていく。
 小さい頃、母さんに手を引かれて歩いているような、そんな感じ。
 『あなたを待つ人が、いるのですから……』

 意識を手放す寸前、エステルの亡骸が光り出したような気がした。







 「見失っちゃったよ……」
 「どこ行ったのよ……?」
 マグナとトリスは、導きの庭園で辺りを見回していた。

 ふとしたことから護衛獣達と口論になってしまい、飛び出されてしまったのが数分前。
 謝ろうと、出てきたまではよかったのだが。
 それまでに多少の間があったのと、護衛獣達の足が速かったこともあり…見事に見失った、というわけである。

 「バカだよな……俺って」
 ぽつり、と。
 自嘲的にマグナがつぶやいた。
 「ハサハ達の言うとおりだ……理由付けて、現実から逃げてただけだ……」
 「それを言ったら、あたしだって一緒よ……ネスじゃないけど、バカよあたし……」
 出てきた名前に、チクリと胸が痛んだ。
 一番辛かったのは、彼なのに。

 「おや、こんにちは。マグナ君、トリスさん」
 横から声をかけられて、彼らはのろのろと振り返った。
 そこに立つのは、銀髪の男性。

 「あ、レイムさん……」
 「こんにちは……」
 「なんだか元気がないようですが、どうかなさったんですか?」
 レイムが心配そうに、二人の顔を覗き込んだ。
 そしてふむ、と一つうなずく。

 「悩みごと、ですね。その顔は……」
 え、とマグナとトリスが目を見開いた。
 「わかるんですか!?」
 「ははは、そう驚くことはありませんよ。これでも私、吟遊詩人なんですから。人間がどんな時にどんな表情をするか、自然にわかるんです」
 朗らかに、レイムが笑う。
 まいったなと、マグナが頭をかいた。

 「悩みを解決できるとは限りませんが……私に、話してみてはくれませんか?」
 柔和な笑みを浮かべながら、レイムが言った。
 「他人に話しただけでも、ずいぶんと気持ちは楽になるものですよ」
 その声音は、ひどく優しい。
 心の中にまで、染み込んでいくようで。
 ぼんやりと、二人はレイムを見つめていた。

 楽に……なれる?
 すべて、話せば。
 この苦しみからは……

 彼らは気づかない。
 その思考が、目の前の吟遊詩人によって操作されたものだということに。
 自分達の事情がそう簡単に話せるものではないことも、そもそも自分達が何をしにここまで来たのかも……もはや二人の頭の中にはなかった。

 「実は……」
 ゆっくりと、マグナが話し出そうとした。
 その、時。

 「ちょぉぉっと、待ったぁぁぁ―――!!」


 どがっ!!


 「いでっ!?」
 聞き覚えのある声と共に、マグナの後頭部に鈍い衝撃が走った。




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と、まあこういうわけです。やっとちらちら出てきた光景(の一部)一つにまとまりました。
運命を知ったとき、人がとる行動。どれにしても、辛いことに変わりないのかもしれません。
そして、再登場早々どつかれるマグナ(笑)
何が起こったのかはまた次回。