第70話
第70話 その手を取って、一緒に行こう


 そよ風に揺れる木の枝が、さわさわと音を立てる。
 時折、鳥の鳴き声も混じった。
 木漏れ日が差す穏やかな森。
 目の前の彼女と出会ったときと、似ている。
 ……当然のことかもしれない。
 だってここは――



 「エステル」
 名前を呼ばれた当人は、驚きと安堵の入り混じった顔に涙の跡をつけていた。
 いや、まだ滴が一つ頬を流れている。
 ずっとないているの、ハサハがそう言っていたのを思い出した。

 「遅くなってごめん……約束を果たしに来たよ、エステル」
 私はもう一度、彼女の名前を呼んだ。
 手を、そっと差し出す。
 「さ、行こう……」

 エステルは戸惑うような表情で私を見つめていた。
 やがて、きつく目を閉じながらうつむいた。
 「ダメよ……私は行けない! 行っちゃダメなの!!」
 泣きそうな声で、激しく横に首を振る。
 思わず、私は差し出した手を少し引っ込めた。

 「行けないのよ……行けば、あなたまで死なせてしまう……」
 どうにか絞り出すように言いながら、エステルは視線を転じた。
 ……さっきまで何もなかったはずの、自分の目の前に。
 そこには大きな箱が、二つ並んで置いてあって…
 「シスルや、アルミネみたいに……」

 言われて初めて、それが棺だと気づいた。
 横たわっているのは赤毛の少年と、アメルによく似た天使。
 敷き詰められた花の中、二人とも眠っているように見えた。

 「だけど……」
 「こんなことになるってわかってたら、あんな事頼まなかった! あなたがどんな目にあうか、視えていたら……!」
 私の言葉を遮って、再び叫ぶエステル。
 ああ、なんかデジャ・ビュが……

 でも、すべて見てきた今ならわかる。
 ああいう形で友達を失ったから。
 私がエステルの立場でも、やっぱり友達があんな死に方するのは嫌だ。

 「だから……行けないのよ。私も、あなたも……」
 …………え?
 どういうこと、と訊こうとしたら…耳鳴りがした。
 それはだんだん強くなっていき、ついには頭が痛くなってきた。
 ひどくなっていく頭痛の中でこれと同じ状況を思い出す。
 確か、あれは。

 「エス、テルっ……あんた、まさか……っ」
 「今ならまだ間に合う……元の生活に戻った方がいいわ、すべて忘れて……」
 返ってきた答えは、ほとんど予想通りのものだった。
 だめ、だ……まだ……
 必死で抵抗するけど、私はそれが効果がないことも知っていた。





 「!?」
 眠っている少女の体が光り出したのを見て、何人かが息をのんだ。
 他の者も驚いてはいるのだが、「今度は何だ」程度にしか考えていなかった。
 しかし。

 「これは……送還の!?」
 ネスティの言葉に、全員の表情が硬いものに変化した。
 ここには召喚術を学んでいない者も多いが、「送還」がどういうことかはほとんどが知っている。
 そして、それが意味するところも。

 「え!? 俺、何もしてないぞ!?」
 「あたしもよ!?」
 マグナとトリスが顔を見合わせた。
 送還は、呼び出した召喚師にしかできない。
 つまり、この場合はマグナかトリス(あるいは両方)しかできないはず。
 誰もが、そう信じていたのだが。

 「おい、どうすんだよ!? 消え始めてるぞ!!」
 フォルテが焦った声を出した。
 の姿が、ゆっくりとぼやけていく。
 死ぬわけではない。だが、この世界からはいなくなる。
 戻ってこられる確率も限りなく0に近い。

 「……いや、この方がいいのかもしれない」
 諦めたような口調で、ネスティが言った。
 「ネス!?」
 「元の世界にいた方が、デグレアもおいそれと手を出せない。この世界の、僕達の問題に巻き込まれるよりは……」

 確かに、その通りではある。
 のいた世界は、召喚術で開かれる世界のどれでもない。今のところ、事故でしか召喚できた例はない。
 帰れるのならば、リィンバウムで逃げ回っているより安全だろう。

 「そう、だけど……」
 マグナの声は、小さくて苦い。
 彼らとを交互に見つめながら、仲間達はどこか納得のいかない表情を浮かべていた。





 頭があまりに痛くて、何も考えられなくなっていく。
 朦朧としてきた意識を、私はどうにか保っていた。

 「第一……あんたは、どうなるのよ……」
 「どうせ、もう死んだ身よ……何もなければ、そのうち消える……」
 「な……に、言って……」

 視界が暗くなっていく。
 声も、やけに遠くに聞こえる。
 ダメだ、眠っちゃ……でも、もう意識、が……

 「なにやってるんですか、あなたは!!」

 怒号が世界を揺るがせたのはその時だった。





 唐突に叫びだしたロッカを全員が唖然と見つめる。さっきまでの空気が嘘のように吹き飛んだ。
 誰もが硬直したまま動かない。

 「まさか、このまま帰る気じゃないでしょうね!? 4日も待たせておいて、何も言わずに行くんですか!? ふざけないでください!! どれだけ心配したかわかってるんですか!?」

 呆けたような視線がロッカに注がれる。
 滅多に怒らず、むしろ短気な弟をなだめようとする事が多かった彼が。
 消えかかってるに向かって、怒鳴り続けていた。

 「今までだって、こっちの気も知らないで奴らに近づいていったり、こっそり抜け出して別行動しようとしたり!! その上言っても聞かない!! 仕方ないから納得するまで付き合ってあげようと思った矢先に、はいさようならですか!? 冗談じゃないですよ!!」

 これは実は、ロッカのふりをしたリューグなんじゃないだろうか。
 そう錯覚するぐらいの勢いで、ロッカは次から次へと怒りをぶつけまくる。
 それとも、双子だからそんな気がするのだろうか?

 ちらりとマグナがアメルに視線をやった。そして再び目を見張った。
 アメルが笑っている。少し困ったような、でも仕方ないというような笑み。
 その横ではリューグが呆れたようにため息をつき、アグラバインも二人と似たり寄ったりの顔で、だけど優しい眼差しでロッカを見守っていた。

 視線を向けられているロッカはといえば、とうにしか見えていないようだった。
 言っていることも、もはや脈絡も何もない。彼にしては珍しく、滅茶苦茶だ。

 「はっきり言います、僕はあなたがわからないですよ! どうして村を焼いたり、罪のない人を殺したり、挙げ句の果てにあなたまで捕まえようとする連中を信用できるんですか!? 死にそうな目にまであってるのに!! 確かに無理矢理にでも元の世界に戻した方が安全だと思いますよ、みたいに無茶する人は!!」

 ひとしきり文句を言ってから…数秒間、間が空いた。
 打って変わって静かな声で、ロッカが言う。

 「でも、僕はあなたがいなくなるのが怖いです」
 彼はゆっくりとベッドまで歩み寄った。
 すでに半透明になっているの手を握る。

 「父さんや母さんのように、突然いなくなるのは嫌です。二度と会えなくなるのは嫌です!」
 最後の方は、泣きそうな声だった。
 「あなたにここにいてほしい! 無茶を言ってもいいです! 一人じゃ辛いときは手伝います、僕達が力になりますから!!」

 ロッカがさらに強く、の手を握った。
 すぅ、と大きく息を吸い込み。

 「起きろ―――――――っ!!」

 次の瞬間、光が部屋中に満ちた。






 痛みが、耳鳴りが一瞬のうちに消えた。
 視界に森の風景が戻ってくる。
 戸惑った顔で、エステルがこっちを見ていた。

 「……なんで、途中でやめたの?」
 彼女に問いかける。
 私だって抵抗したけど、そんなことであっさり破れるほど召喚術は甘くない。「強制的な」呼びかけだから。
 エステルがやめたとしか、思えなかった。

 「できるわけないじゃない……あんな事、言われたら」
 ばつが悪そうにうつむくエステル。
 「でも、私……」
 「あのね、エステル」
 私はエステルの言葉を遮った。

 「私は全部承知した上で約束したんだよ? あんた一人が苦しむ事じゃない、私が選んだんだから」
 あそこで断っても、私の存在に関すること以外は起こっただろう。
 マグナ達に関わることも、イオスたちを助けようとすることも、エステルの頼みを聞いたことも。
 全部、私の意志で決めたことだ。
 だから、私はここにいる。

 「それに仲間を、友達を助けたいんだよ。大したことはできないかもしれないけど。エステルだって、大切な人がいたならわかるでしょう?」
 うっ、とエステルが詰まった。
 「そうだけど……」とつぶやく姿が、ネスに説教されたときのトリスとすごく似ていたり。

 「だから、お願い。力を貸して」
 エステルを正面から見据えて、私は言った。
 「悔しいけど、私だけじゃ戦えない。あいつに対抗できない。あんたの力が必要なの」
 エステルは目を見開いた。
 「いいの……? 私の力のせいで、あなた……」
 「いいの!」

 エステルの力を借りることで、また狙われるかもしれないけど。
 予想もつかない事態になるかもしれないけど。
 それでも、私じゃメルギトスに勝てないから。
 なにより、彼女自身を放っておけない。

 「そのかわり、私にできることなら協力するよ。アメル達だっているから」
 私はもう一度、右手を差し出した。
 「一緒に行こう」

 しばらくの間があって。
 おずおずと出された手が、私の手を取った。

 森の風景が、揺らぎ始める。
 意識が昇っていくのを感じながら、私はエステルの手を引いて歩き出した。




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ロッカ、キレるの巻。
リューグとどっちにしようか迷ったのですが、今回は彼に。
おとなしい分、キレると一気にぶちまけるタイプだと思います。彼は。
次回、いよいよ起きます。まだ説明しないといけないこともありますががんばります。