第80話
第80話 言えない、真実
「はあっ、はあっ……」
彼女は走る。
どこまでも続く、暗闇の中を。
『どこへ行くんです?』
あざ笑う声が、響いた。
『どこまで行ったって、同じことですよ』
『逃げられるわけ、ないのだからなぁっ!!』
『キャハハハッ、無駄だってばぁ』
「うるさいっ!」
すべてを否定するように、彼女は叫んだ。
「それでも、私は……」
『それでも、どうするんです?』
ふっと、辺りの景色が変化した。
黒一色の世界に、色が増えていく。
動かない、人間達の体。かつて、彼女の仲間だったもの。
血の吹き溜まり。
『あなたの仲間は、もう死んでいるのですよ?』
『貴様のせいでなぁ?』
『もうあきらめちゃいなよぉ』
やめて。
聞きたくない、何も聞きたくない。
これ以上、何も見せるな。
『なら……今すぐ楽にしてさしあげますよ』
言葉と共に、人影が現れる。
それが誰かわかった瞬間、目の前が再び黒一色になった。
どこまでも、落ちていく。
嫌な笑い声だけが、うつろな空間に響いていた。
「……っ!?」
がばりと、彼女は身を起こした。
暗闇ではない。ここは、彼女が今生活しているテントだ。
心臓がうるさいほど鳴っている。
汗もひどかったらしく、下着が湿っているのがわかった。
「……また、か」
彼女はため息をついた。
すべてを失って以来、毎日のように見る悪夢。
いつものこととはいえ、やはり慣れない。
「……着替えよ、っと」
身を起こすと、荷物から替えの下着を取り出した。
そして上着を脱ぎ、下着に手をかけ捲り上げた瞬間。
「おい、ルヴァイド様がお呼び……」
唐突に飛んできた声が、不自然に途切れた。
視線をやれば、そこには金髪の青年の姿。
その彼は、彼女の方を向いたまま固まっていた。
どうしたんだろうと視線を追えば……その先にあったのは露になった彼女の腹で。
彼女の時も止まった。
やがて、互いはじわじわと状況を理解し。
「きゃあぁぁぁっ!?」
先に悲鳴をあげたのは彼女だった。
「ちっ、違うっ! 僕は……」
「やかましいぞ……朝から何の騒ぎだ?」
悪いことは重なるもので、それまでそこで寝ていた狼がのそりと起きだし。
やはり、彼女を見て固まった。
次に、テントの入り口で固まっている青年に目が行き。
「貴様……いい度胸だな……」
低い声でつぶやく狼には、不穏な気配がまとわりついていた。
「ごっ、誤解だっ!!」
「ちょっ、セイ、ここで風刃はやめて―――っ!! テントが壊れるっ!!」
「す、すまん……」
どうにか誤解を解き。
青年……イオスは、すまなそうに頭を下げた。
「もういいわ……わざとじゃないのはわかったから。でも、次は一声かけてよ。またああなったら、今度はセイを止める自信ないから」
疲れたように、彼女……アイシャが嘆息した。
それから、少し何かを考え。
「それで、その……見たよね? お腹……」
「そっ、そこだけだっ! 他は見てないっ!!」
赤くなって弁明するイオスに対し、アイシャは再びため息をついた。
「そっか……やっぱり、見たんだ……」
「……どうかしたのか?」
肌を見られたにしては、様子がおかしい。
アイシャは困ったような笑みを浮かべて、言った。
「だったら、見たんでしょう? お腹の傷」
「傷?」
そういえば、斬られたような傷跡が見えた気もする。
女とはいえ傭兵だから、死ぬような目に遭っていてもおかしくはないだろうが。
「傷がどうかしたのか?」
「……何きょとんとしてるのよ? 女に傷の話は禁句よ。それぐらいわからないとあの子に嫌われるわよ」
「そっ……それは別に関係ないだろう!?」
赤面して慌てるイオス。
『あの子』で誰を連想したかは、想像に難くない。
「まあ、それはさておき。雇い主殿が何だって?」
「……ファナン侵攻について、話があるそうだ」
咳払いしながら、イオス。
「……わかった。着替えたら行くって、伝えといて」
「ああ」
短く答えると、イオスは足早に出て行った。
それをおかしそうに見送ってから……アイシャは寂しげな笑みを浮かべた。
「見られたく、なかったな……」
ぽつりとつぶやき。
「今度こそ……あんなことにはさせない」
手早く着替えを済ませると、外で待たせてある相棒に声をかけて、彼女はテントを出て行った。
今、(みんなが把握している)デグレアの戦力は3つ。
一つ、ルヴァイド率いる黒の旅団。
一つ、ガレアノ、ビーニャ、キュラーの召喚師達。
そして、デグレアの本隊。
「おそらくファナン攻略の際には、これら3つの勢力がまとめて襲ってくるとみていいでしょう」
いつものように、朝ごはん後の作戦会議。
今回はシャムロックが中心となって取り仕切っている。
他のみんなもいよいよ本格的な戦争が近いとあって、いつにも増して真剣に聞き入っている。
……デグレアの本隊、かあ……
そんなものもう存在しないって、マグナ達だけじゃなくてルヴァイド達も知らない。
知らずに、祖国のために戦っている。
軍隊とはそういうものだ、って言っちゃえばそれまでかもしれないけど……
きついなあ、やっぱり……
もちろんそんなこと言えるわけもなく。
話は滞りなく進んで、こっちはこっちなりに動いて戦うということで終わりかけた時。
「あの、今のお話ではレイムの存在について触れていなかったように思われるのですが……よろしいのですか?」
カイナの言葉に、みんなはしん……と黙り込んだ。
何人かが私を見たのが見えたけど、それは気にしないことにする。
「その疑問はもっともだと思う。しかし、これまで全くその動きを悟らせなかったことといい、彼は間違いなく裏方に徹して活動していた人間だ。だから、表立った今回のような戦いには介入しないと、僕は判断しているんだ」
「仮に参戦していたとしても、彼は黒の旅団に属する顧問召喚師です。黒騎士達の陣、あるいは他の召喚師達と行動を共にしていると思われます」
ネスとシャムロックの言葉に、なるほどとばかりにみんながうなずく。
「そのことなんですが……」
アメルが遠慮がちに声を上げた。
集まる視線を受け止めながら、続ける。
「あたし、思うんです。あの人は本当に、黒騎士達と行動を共にしているんでしょうか?」
そこから先のやり取りを、私はただぼんやりと聞き流していた。
まともに聞いていられる自信がなかったのだ。
ロッカやリューグが、何を言うのかわかっていたから。
今、あんな言葉を聞いたら……どうするかわからない。
「俺達の村を焼き討ちにしたのはどうなるんだよ!?」
だけど、リューグの叫びは容赦なく私の中へと切り込んできた。
「それは……」
しぼみ、消えていくアメルの声。
一瞬の沈黙の後、ロッカの言葉が聞こえてきた。
「確かに黒騎士はひとりの騎士として、礼節を知る者かも知れない。でも、あの時……無抵抗の女子供や病人までを犠牲にした時点で、彼にはその美徳を誇る権利はないんだよ」
……もう限界だった。
がたんっ!!
イスを倒す勢いで立ち上がった自分を、私はどこか別の世界のことのように感じていた。
誰も、何も言わない。
視線が集中しているのがわかったが、そんなことはどうでもよかった。
ただ、悲しくて……悔しかった。
「……何もっ……何も知らないくせにっ……」
涙がこぼれてきた。
彼らだって、やりたくてあんなことしたわけじゃないのに。
今でも悔やんでいるのに。
同時に、それを言えない自分が歯がゆかった。
そっと背中をなでられる感触がした。
「……、ちょっと落ち着こう、ね? ここじゃ何だから、部屋にでも……」
言って、トリスは私の背中を押しながら歩き出す。
私は泣きながら、押されるままに歩いた。
それから私は、部屋でしばらく泣き続けた。
その間、トリスは黙って背中をなでてくれた。
「大丈夫?」
「っく、ごめん……」
ちょっと待ってて、とトリスは部屋を出て行き。
少ししてから、水の入ったコップを持って戻ってきた。
「はい」
「あり、がと……」
受け取って、水を半分くらい一気に飲む。
すっかりからからになったのどが、ひんやりと潤っていった。
「お墓参りのこと、気になってたんでしょう?」
「うん……」
そういえば、あの時泣いたとこマグナとトリスも見てたんだっけ…
「わかってはいるのよ、ロッカ達の気持ちも。でも……」
ルヴァイドのあんな姿を知ってるから、耐えられなかった。
本当の理由を知っていたから、黙って聞いていられなかった。
……だからって、何もできるはずないのに。
本当のこと、言えないのに。
「大丈夫。あたしもマグナも、わかってるから。の気持ちも、黒騎士が村のことを悔やんでるってことも……」
優しく、頭をなでる感触。
それがなんだか心地よくて、私はそっと目を閉じた。
「絶対に助けるから……だから、一人で泣かなくていいの……」
その言葉を聞きながら、私はまた少しだけ泣いた。
いろいろな意味でカウントダウン開始です。
どっかで見たよーな夢だ、との突っ込み却下。元々考えていた設定なので。
前の話でロッカかリューグ選んだ人にはなんだかな、な展開ですね……これ。
知っていてもどうにもできないジレンマ。辛いです。