第85話
第85話 揺れる天秤


 ようやく戻ってこれた時には、みんなもうへとへとで。
 ほとんどが寝るか、起きていてもソファとかでぐったりしていた。
 ちなみに私はソファでぐったり組。
 終わったとたん、今更のようにどかっと疲れが出てきたためだ。

 「お茶でもどうですか」
 いつもの営業用スマイルでシオンの大将。この人は比較的元気だ。
 「あ、どうも。いただきます」
 受け取って、一口飲む。
 少しぬる目の甘い味がのどに染み渡る。はぁ和むわ…

 「それにしてもさん。今日はまたいつになく強気でしたね」
 ふと、思いついたように大将が言った。
 「え?」
 「『自分で足を止められないなら、無理にでも止める』……口で言うほど簡単なことじゃないですよ」
 「……聞いてたんですか!?」
 この人、近くにいなかったはずだけど……
 さすがシノビ、ということなのだろうか……?

 「まったく。毎度のことだが、君はいつも無茶を言うな」
 やっぱりソファでぐったり組のネスが、呆れたように口を開いた。
 毎度って……私、そんなに無茶は言ってないぞ。……多分……
 って、そうじゃなくて。

 「無茶かもしれないけど、でもホントにそうしなくちゃいけないでしょ?」
 この先のためにも、ルヴァイド達のためにも。
 それになにより、私がこんな状態は嫌だから。

 でも……今日、霧の中で言われて気づいた。
 私は、まだどこかで甘えていた。
 一歩引いていた。……怖がっていた。
 知ってるゲームの話だから、いざ予定外のことが起きると混乱して何もできなくて。
 辛い出来事があっても、「必要だから」とか自分に言い訳して何もしようとしなかった。
 苦しんでばかりで、それを変えようと行動もしなかった。

 でも、それじゃダメなんだ。
 たとえ強い力を手に入れても、戦う技術が身についても。
 私自身が弱いままじゃ、この先また足手まといになる。

 「傍観者でいる時期は終わった」って意味、やっとわかった気がする。
 私は外からゲーム画面を見ているんじゃない。今、この世界でマグナ達と戦っているんだから。

 「アメルは渡せないし、ルヴァイド達もほっとけないし、ゲイルだって利用されるわけにいかない。だったら勝って止めるしかないでしょう?」
 二人への確認というよりは、自分に言い聞かせるように言う。
 必要だからとか、そんなのじゃない。
 私は自分の意思で、友達を助けるために戦うんだ。
 「ですね」
 その通りだとばかりにうなずく大将。

 「一つ、訂正だ」
 ネスがぼそりと一言。
 「アメルだけじゃなくて君もだろう、? 捕まるわけにいかないのは」
 「……あ、そういえば」
 やれやれと言いたげに苦笑するネス。
 大将も、隣でおかしそうに微笑んでいたりする。
 うわ、なんか変なこと言っちゃったみたいでやだな…

 「でも、さん。一人で気負わないでくださいね」
 大将が笑顔を、やわらかいものへと変えた。
 「もっと誰かに頼ってもいいと思いますよ。マグナさんやトリスさん、それに他の皆さんも……もうあなたの言う事を無理だとは言わないでしょうから」
 「そうかなー……?」
 リューグあたり、まだそれは難しい気がするけど。

 「少なくとも、今日のことで僕達の考えが変わってきているのは確かだ」
 「それに……」
 本人達には私が言ったこと秘密ですよ? と前置きすると、大将は続けた。
 「今朝、さんが泣いて出て行った後……マグナさんが怒ったんですよ」
 「え?」
 「もう少し、君の気持ちも考えてやれとな」
 「彼らも素直に謝ってましたよ。明らかに言いすぎでしたしね」

 そっか……
 後で、マグナにお礼言っておこう。ルヴァイドのことも含めて。

 でも、心配なのはルヴァイドやイオスのこと。
 次に戦う時まで会うことはないんだろうけど、今日の様子を見ると不安になる。
 自分で役目を背負い込んで、本心を出せなくて。それで苦しんで。

 もし、こんな立場じゃなかったら。
 私は少しでも彼らの気を楽にすることができたのかな……?
 本来、許されることではないのだけど。







 寝返りを打つと、弟の背中が見えた。
 微動だにしていないが、彼は眠っているのだろうか。
 自分は疲れているのに、眠れない。

 『何も知らないくせにっ……』

 の泣き顔が、叩きつけられた言葉が浮かぶ。
 黒の旅団の不自然なところに気づかなかったわけじゃない。
 決め付けるのは早計だと思っていたし、理由はどうあれ彼らのしたことは許されることではない。

 ただ、を傷つけたことよりも、彼女が自分達に反論したことが堪えた。

 そして、戦う前の会話。
 何がなんだかわからない。
 敵は村を滅ぼし、アメルを狙う仇。
 だが、マグナの言葉を信じるならば、彼は己の行為を後悔していたことになる。
 目的の一つを達成する機会がありながら、あえて逃したということになる。

 それを知っていたからこそ、マグナはあの時怒っていた。
 真剣に、ルヴァイドを説得しようとしていた。
 だが、それに引きかえ自分は。
 「まるっきり、嫌な奴だな……」
 つぶやいたら、なんだか虚しくなった。

 ……今は、休もう。
 落ち着いたら、今度はきちんと彼女と話をしよう。

 ロッカはそっと目を閉じた。





 「…………」
 リューグもまた、寝付けないまま壁の方を向いていた。

 ルヴァイドを倒す。
 ただそれだけのために、この旅を続けてきた。
 強さを求めてきた。
 誰に、何と言われようと…

 『ルヴァイドを殺すって言うなら、全力で止める』
 いつだって、そう言い続けてきた
 はじめはふざけるなと思った。
 彼女まで狙われ始めた頃には、お人よしにも程があると呆れた。

 今は……どうだろう?
 ルヴァイドに対する憎悪は変わらない。
 だが、もし殺したりしたら彼女は絶対泣くだろうし、怒るだろう。

 (……なんだよ。なんであいつのことなんか気にしてるんだ、俺?)
 以前なら、そんなのお構いなしで目的を果たそうとしただろう。
 今までずっと、そのつもりだった。そのはずだった。
 しかし、今朝マグナに怒られた時、何も反論の言葉が出てこなかった。
 口からも、頭からも。
 むしろが泣き出した瞬間、しまったという感情が真っ先に浮かんだことが自分でも驚きだった。

 いつから彼女のことを気にするようになってしまったのだろうか。
 度が過ぎるほどのお人よしで、そのくせ口と同時に手が出るような女。
 だけど、変なところで弱くて。
 かと思えば、突拍子もない行動を取ったり。

 (振り回されてるよな、俺……)
 けれども、いつの間にかそれになじんでいる自分がいるのもまた事実。

 そして今は、二つの感情で揺れている。
 黒騎士を殺すという決意と、が怒るだろうなという予想と。

 「まるっきり、嫌な奴だな……」
 ぼそりと、ロッカの声が聞こえた。
 一瞬ぎょっとしたが、それきり何も言わない。寝言だったのだろうか。

 「……ちっ」
 やめた。考えるのも疲れた。
 ふてくされたように目を閉じると、今度はすっと意識が落ちていく。

 天秤は、まだどちらにも傾かない。







 ふと、歌声が聞こえた。
 それも、女の声が。

 (……あいつか?)
 イオスは首をかしげた。
 ここは軍の駐屯地だからして、男しかいない。本来なら。

 ルヴァイドが雇った女傭兵。
 確かに実力は認めるが、仮面をつけている辺りからすでに得体がしれない。
 たまにからかってくることもあって、イオスは彼女がどうも苦手だった。
 いつもなら無視しただろうが……なぜか、そのもの悲しげな歌声が気になった。

 テントを出て、声の方向を探る。
 大きさからして、やや離れているだろう。
 おそらくは……川がある方角。

 やはり気になったらしい団員数名と途中で会ったが、自分で見るからと持ち場に戻らせた。
 テントのあるところから離れ、森に近い川の後利までたどり着くと。

 「……」
 イオスは言葉を失った。
 川辺に佇み、月明かりに照らされて歌う人影は、知っているもののはずなのに別の存在のように見えた。
 月の精霊というものがいたら、こんな感じなのだろうかと錯覚するほどに。



その手で私を抱いてください
その声で私を呼んでください

あなたが傍にいてくれるなら
他には何も望みません
あなたが笑ってくれるなら
望むとおりにしましょう

誰よりも大切だから……



 不意に、歌が止まった。
 くるりと影が振り返る。
 「あれ、イオス?」
 どうしてここに、というような声が彼女…アイシャの口から出る。
 先程までの神秘的な雰囲気は微塵もなく、彼のよく知る女傭兵に戻っていた。

 「あ、もしかしてうるさかった? ごめんね」
 「いや……」
 それきり、沈黙。
 どうにも会話が続かない。

 なんとなく、気まずかった。
 今朝の騒ぎといい、さっきの様子といい。
 いつもと違う彼女を見たせいか、普段どおりに接することができない。
 こんな状況だから、つい女だということを頭の片隅に追いやりがちになっていたが……

 「どういう意味だと思う?」
 「は?」
 「今の歌」
 唐突に話題を振られて、イオスは少し混乱した。
 なぜいきなりこんな話をする?

 「愛の歌……じゃないのか?」
 そう答えたら、アイシャは苦笑したようだった。
 「そうね。相手は死んじゃった恋人だけど」
 「……!?」
 思わず息をのんだ。

 「死んだ恋人への想いの歌。届かないと知っていても願い続ける。そういう意味だって聞いた」
 淡々と語る声。
 でも、どこか悲しそうに聞こえた。

 「……そういう恋人が、いたのか?」
 ふと思いついて、イオスは問いかけた。
 「さて、どうだろうね?」
 肩をすくめて、アイシャが答える。
 そして視線をイオスから逸らし、川の方へとやった。
 再び沈黙。せせらぎの音だけがしばらく流れた。

 ややあって、アイシャが口を開いた。
 「ねえ、イオス。あんたはこのままでいいの? あの子の事」
 顔がこわばるのが、自分でもわかった。
 何のことを言っているのかは、聞かずともわかる。
 歌の意味を教えたのも、この話題を振るためだろう。

 確かに、元老院にを引き渡せば彼女はどうなるかわからない。
 扱いによっては、今度こそルヴァイドやイオスを恨むかもしれない。
 それどころか、二度と会えなくなる可能性も高い。
 だが……

 「あんたの立場を考えれば仕方ないのかもしれない」
 イオスの心情を見透かしたように、アイシャは続けた。
 「でも、よく考えたほうがいい。本当にこれでいいのか、何かできることはないのか」
 そこで少し黙り込んだ。
 まるで、何かを思い出しているかのように。

 「なくしてしまってからでは、どんなに後悔したって遅いんだからね」
 その言葉は強く深く、イオスの心に突き刺さった。




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主人公の一歩前進。納得したつもりでも、不安は消えていなかったと思います。
必要だから何もしない。歴史には正しくても、自分にとっては逃げになってしまう。
立ち向かうことは間違っているかもしれなくても、それでも。
そして、目的と大切な人との間で揺れる心。今はまだ、その答えは出ないけれど。

2003.11.28