第90話

 「――――っ!?」
 苦しそうに顔をゆがめ、彼女はその場に座り込んだ。
 通りがかった兵士の一人が慌てて駆け寄る。

 「おい、どうした!?」
 「……ああ、気にしないで。ちょっとした発作みたいなものだから」
 口調こそいつものことのようだったが、顔は青ざめて脂汗まで浮いていた。

 「顔色悪いぞ。待ってろ、今救護兵を……」
 「いい、休めば治まるから」
 「しかし……」
 「とにかく大丈夫。どうしても治らなかったら自分で行くから」

 兵士はまだ納得していないようだったが、
 「……必ず、だぞ」
 しぶしぶ彼女から離れていった。
 時々ちらりと振り向きながら。

 「……またか?」
 足元にいた狼が、心配そうに口を開いた。
 彼女は蒼白な顔のまま、一つうなずく。

 「あっちは、確かデグレアの方角だったね。それにあの魔力の異常な強さ……」
 その目である方角をじっと見つめ、何事か考えていたが。
 やがて、彼女は苦い声でつぶやいた。
 「……もしかしたら、かなりやばいかも」









第90話 狂戦士


 ただ、静かだった。
 誰一人言葉を発さず、視線をに向けたまま立ち尽くす。
 先程までの激高が嘘だったかのように、その顔は無表情だった。
 紫色に変化した瞳が、前だけを見つめている。

 ゆっくりとが右手を上げる。
 そこに光がともった瞬間、が動いた。
 雪などものともしない速さでガレアノ達へと迫る。
 それを阻むべく鬼や屍人が立ちはだかるが、はひるむことなく右手を前へと突き出した。光がひときわ強くなったかと思うと、幾筋もの矢となって敵を貫く。

 「なんだよ、あれ……」
 さらさらと崩れていく屍人達を視界に捉えつつ、マグナは呆然とつぶやいた。
 どう見ても、いつものではない。
 戦うことのみが己のすべてであるかのように、何の感情も表さず目の前の敵を屠る。
 その動きも無駄や隙はない。

 「まともな状態じゃねえ。あの棒オンナ、力が暴走してやがる」
 バルレルがぽつりと言う。
 それを聞いたトリスは、顔色を変えてバルレルに詰め寄った。
 「どういうことよ、バルレル!?」
 「テメエの脳みそでもわかるように言えば、だ。あのオンナの力は体の中で暴走してやがるんだよ。そのせいで精神も飛んじまってる。今のアイツは本能の赴くまま、目の前の敵をぶち殺す兵器ってとこだな」

 「それって……!」
 マグナの顔から血の気が引く。
 次の瞬間には駆け出そうとした彼の肩を、ネスティが慌てて抑えた。
 「よすんだ! バルレルの言うとおりなら、今のには僕達がわからないんだ! うかつに近づいたら君まで攻撃されるぞ!!」
 「けど、をあのままにしておけないよ!!」

 見ていたくなかった。
 人形のように表情を変えず、戦い続ける彼女を。
 だって――

 「何も感じないで、戦い続けるだけなんて……あれじゃゲイルと変わらないじゃないか!」
 あんなに悲しいものはもう嫌だったのに。
 誰よりも笑っていてほしかった彼女だからこそ、見ているのがつらい。
 「マグナ……」
 ネスティが表情を悲しげに曇らせた。

 「……取り込み中悪いんだが、その前に一仕事みたいだぞ」
 レナードがそう言いつつ、一発撃った。
 銃弾は近づいてきた鬼の足に命中する。

 「……っ!?」
 いつの間にかマグナ達は囲まれていた。
 数がやけに多いと思ったら、先程までいなかった魔獣まで混ざっている。
 輪の外ではが、自分に襲い掛かる屍人達を迎え撃っている。

 「くそっ、と分断されたか!!」
 ネスティが舌打ちした。
 トリスがマグナを振り返り、叫ぶ。
 「急ぎましょう!! なんとかして早くを止めないと!!」
 「ああ、これ以上あんなことさせちゃいけない!!」
 うなずきあうと、二人はこの戦いを一刻も早く終わらせるべく呪文を唱えだした。
 少し遅れて、ネスティの声もそれに続いた。







 「なるほど、そういうことでしたか」
 曇った空を見上げながら、レイムは一人つぶやいた。
 その下にはデグレアがある。
 そこから感じる、懐かしくも激しい魔力の波動。
 遠い昔、失われてしまったはずの――

 「うまく隠しおおせていたようですね。おかげでずいぶん遠回りをしてしまった」
 はじめから鍵など必要なかった。
 力を引き出す必要などなかった。
 求めていたものはすぐ近くにあったのだから。

 「ですが、これで彼女を蘇らせるために必要なものはそろった」
 あと少し。
 「もうすぐ、あなたに手が届く……」
 待ちわびた時は近い。
 そして、その時こそ。

 「思い知るがいい。忌々しいクレスメントの召喚師……」
 かの者達に、そしてその子孫に。
 ――報いを。







 どれだけの数を倒しただろうか。
 時間だけが、無常にも過ぎていく。
 「はあっ、はあっ……」
 「数が多すぎるわ……このままじゃ……」
 を止めるどころか、その前に自分達が力尽きてしまう。
 絶望に近い思いが頭をかすめる。


 ドォンッ!!


 屍人達の輪の一角が、閃光と共に崩れたのはその時だった。
 その向こう側から、無表情でが走ってくる。

 「おい、もうあれだけの連中片付けてきたのか!?」
 フォルテが驚くのも至極当然だった。
 なにせマグナ達が必死になって片付けていったのと同じだけの数が、一人に向かっていたのだ。
 いくら今の彼女が人間離れしているとはいえ、早すぎる。

 そして――
 「おわっ!?」
 鬼や屍人をさらに数体消し去ったは、今度はバルレル目がけて光を放つ。
 「バルレル!」
 「やめろ、彼は敵じゃない!!」
 だがはバルレルに目標を定めたらしく、マグナ達はおろか鬼や屍人にすら目もくれない。

 「冗談じゃねえっ、んな物騒なもんにやられてたまるか!!」
 そう叫ぶバルレルだが、明らかに彼が不利だった。
 もはや遠慮も際限もない相手に対して、バルレルは誓約に縛られて満足に力が使えない状態だ。
 しかもうかつに攻撃しようものなら、召喚主を始めうるさい人間どもに何を言われるかわからない。
 ……どのみち攻撃できそうにないのがまた腹立たしいのだが。
 それに、助けも期待できない。
 他の面々は自分に向かってくる敵で手一杯だった。

 なんとかかわしていくものの、バルレルは目に見えて疲労が濃くなっていく。
 は無表情なのでわからないが、動きは疲れなど知らないように滑らかなままだ。
 そしてついに、バルレルが足をもつれさせ転倒した。
 そこをが見逃すはずもなく。
 「くそっ……!」
 避けられないと悟ったバルレル目がけて、光をまとったの手が振り下ろされた――





 ……予想に反して、小さな悪魔の断末魔は聞こえてこなかった。
 「っく……っ」
 かわりに、うめき声が一つ。

 「!?」
 「マグナ!?」

 驚愕のまなざしと息を呑む声。
 その中央で、マグナの手が振り下ろされるはずのの腕を掴んでいた。
 そこから伝い落ちた血が、雪の上に赤い染みを作っていく。

 「、もういい。やめるんだ」
 「あ……?」
 紫色の目に、初めて動揺が浮かんだ。
 呆然とマグナを、落ちていく血を見つめる。
 小刻みに震えているのがマグナにも伝わってきた。

 「マ、グナ……わ、わた……し……」
 瞳が急速に色を変えていく。
 そして本来の色に戻ると同時に、瞼がふっと閉ざされた。
 そのままの身体が崩れ落ちる。

 「マグナっ、!!」
 「ひどいケガ……今治しますから」
 治癒の力を使おうとするアメルを、マグナは無事な方の手で制した。
 「いや、今はいい。それより、をつれてここから逃げるぞ!!」
 まだ屍人や鬼、魔獣達はかなりの数が残っている上、召喚主のガレアノ達は健在だ。
 まともに戦っていたら数で勝てないのは目に見えている。

 「ああ、その方がよさそうだな」
 「目くらましの霧を使います、そのうちに……オンッ!」
 シオンが鋭く叫ぶ。
 黒い霧が、相手側を一気に覆いつくした。

 「もォォォっ!? また、煙にまくなんてムカつきまくりィっ!」
 「絶対に、逃がしてはなりませんよ!」
 傀儡の兵士達は嫌味なほど主に忠実だった。
 無論霧が効いているので全員は来ないが、近くにいたり霧の範囲から外れていたりするのが命じられるまま追いかけてくる。

 走って走って、デグレアの城壁近くまでようやくたどり着いた頃。
 「カザミネ殿っ!」
 「……心得た!」
 シオンの呼びかけに、カザミネが刀を抜き放った。
 向かうは敵ではなく、堅く閉ざされた城門。

 まさか。
 全員にほぼ同じ想像が頭をよぎったと同時に、
 「キエェェェェェッ!!」
 気合と共に白刃一閃。
 一拍おいて、城門が真っ二つとなって落ちた。
 ついでに周囲の壁も崩れて瓦礫と化す。

 「さあ、今のうちです!」
 カイナの声に押されるように、次々壁の向こう側へと抜けていく。
 振り返ることも、足を止めることもせず、走り続けた。







 「……?」
 ふと歩みを止めて、ハヤトは辺りを見回した。
 彼だけではなく、トウヤ、ナツミ、そしてアヤも何かを探すように視線をさまよわせる。
 不思議そうな、困ったような表情をそれぞれに浮かべて。

 「……どうかしたんですか?」
 「いや……」
 クラレットの問いに、ハヤト達は少し口ごもる。
 しばらく何か考えて。

 「……誰かが泣いていたような気がしたんだ」




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重いですね、はっはっは(半ばヤケ笑い)
やはり大きな力は、たやすく操れるほど甘くはないと。
レイムはレイムで、なにやらやばそうな方向にいってます。
さて、色々どうなることやら。

2004.3.13