第92話
「ええ、夕ご飯は一緒に食べましょうね」
「うん、やくそくだよははうえっ!!」
ココハドコ?
「あの人達に何をする気ですか!?」
「……あなたは本当に変わられた。そこまであれが大切ですか」
誰ガ話シテイルノ?
「できるだけの準備はした。あとは……」
コレハ、何――?
「………………」
彼女はゆっくりと瞼を開けた。
夢を見ていた気がする。だけど思い出せない。
なんだかあたたかくて、苦しくて、でもとても大事なことのような……
ずきん、と頭が痛んだ。
「……っ!?」
わずかな記憶が霧散する。
奇妙な不安に駆られる。
(思イ出サナイト)
扉の向こう側を知りたいのに、
(思イ出シテハイケナイ)
開けてしまったら後戻りできない上、必死で繋ぎ止めていたものを失ってしまう気がして――
「……エステル?」
彼女を呼ぶ声に、不安も焦りもすべて消える。
「あ、おはようアル……じゃなくてアメル」
呼び返す名前が、どうにもぎこちない。
相手の今の名前を、しかも呼び捨てで呼ぶのに慣れていないこともあるが。
「大丈夫ですか? 顔色が少し悪いような……」
アメルが心配そうに覗き込む。
「私は大丈夫。たいしたことじゃないから」
そう。自分はたいしたことないのだ。このぐらい。
問題があるのは、むしろ。
「……、まだ起きないんですか?」
問いかけに、力なくうなずく。
「あれから何度も呼びかけているのだけれど……」
目を覚ますことも、反応を返すこともない。
この体の本来の持ち主が深すぎる眠りについてから、すでに数日が経っていた。
第92話 嵐の報せ
「だから……まずはあいつらが何者か知っておく必要があると思うの」
「それで、ゼラムまで戻ることに決めたってわけね」
ええ、とトリスがケイナの言葉にうなずく。
朝にゼラムへの出発を決め、そのままファナンを後にした道中でのことだ。
実を言えば、が起きるまで待とうという意見もあった。
だが結局、エステルの一言が決定打となった。
「一日も早くすべてが解決することを、も望んでいますから――」
誰も異議を挿めるわけがなかった。
あまりにややこしく重い事情に巻き込まれている少女を、皆何とかしてやりたいと思っていたから。
「それに、遺跡の古文書を解読した結果だって気になるしね?」
以前ゼラムを発つ際に、ギブソン達には遺跡の石碑に刻まれていた文章の解読を頼んでおいた。
時間さえもらえればなんとかできるとのことだったので、そろそろある程度はわかってきている頃だろう。
「敵を知ることは、勝負に勝つための鉄則でござるからな」
「ギブソンさんとミモザさんなら……あの三人の召喚師達の素性について、きっとなにか知っているでしょう」
納得したようにうなずくカザミネとカイナ。
「派閥の資料をあたっていくことだってできる。無駄足にはなるまい」
ネスティはネスティで、調べる気は満々らしい。
ただ……
「…………」
いつもならトリスと一緒に中心になって話しているはずのマグナは、黙りこくって話に参加していない。
不安げな表情を浮かべ、歩いているだけだ。
「大丈夫、マグナさん?」
ひょいと、横からエステルが覗き込む。
「あ……うん、平気だから」
セリフとは逆に、マグナの顔は浮かないまま。
わかってはいるが、どうにも慣れない。
見慣れた顔なのに、浮かべているのは知らない表情。
見た目はなのに、ではない彼女。
不安材料はもう一つある。
倒れる直前まで、無表情で屍人達を消していった。
見ていられなくて、割って入った。
その瞬間のことは、今でも頭に焼き付いている。
自分のしてしまったことへの絶望と後悔が浮かんだ顔。
ケガで痛む手には、かすかに震えが伝わってきていた。
きっと彼女は苦しんでいるだろう。
目を覚ましてさえくれれば、まだなんとかしてやれるのに。
このまま二度と起きないのではないかと、嫌な考えが離れてくれない。
「大丈夫ですよ」
同じ言葉を断言に変えて、エステルが明るい笑顔を浮かべる。
「私は諦めないで、何度でも呼びかけますから。マグナさんも落ち込まないでください。でないと、に怒られちゃいますよ?」
「……そうだね」
そうだ、忘れるところだった。
ひたむきで諦めない、はそんな女の子だ。
ここで自分が諦めたら、彼女に叱られる。
「おー、見えてきたぜ? ゼラムが」
フォルテの声が聞こえてくる。
街道の向こうにうっすらと、変わることなく佇む街。
あそこには先輩達がいる。おそらくは、と仲のよかった「先輩達の知り合い」も。
何か方法はあるはずだ。きっと。
「おかえりなさい。……っと、今回は新顔はいないようね」
「……なんですか、その含みのある顔は」
「まあ、とりあえず上がったらどうだ? 疲れているだろう」
記憶のままの玄関ホール。
いつもと同じギブソンやミモザ。
色々あった後だからこそ、そういった何気ないことが安心感を与えてくれるものだ。
「あ、そうそう」
全員が応接室に移動しようとしたところで、ミモザが何かを思い出したような表情になった。
「マグナ、トリス。あなた達に変な手紙が来てたわよ」
『え?』
呼ばれた当人達は、そろって首をかしげた。
ミモザはいったん別室に姿を消すと、すぐに白い封筒を持って戻ってくる。
「これなんだけど」
差し出されたそれは、何の変哲もない代物だ。
封を切ってないところを見ると、中身を指して「変」と言っているわけではなさそうだ。
「変……ですか?」
「普通の封筒に見えますが」
覗きこんだネスティも怪訝な顔をする。
それに対してミモザはただ一言、
「宛名を見ればわかるわよ」
とだけ言った。
「宛名?」
マグナはそれを受け取ると、そのまま裏返した。
「……っ!?」
とたん、表情が凍りつく。
何、とばかりに身を乗り出したトリスも、そこに視線を注いだままのネスティも。
そこには『マグナ・クレスメント様、トリス・クレスメント様』と書かれていた。
「これって……」
「今朝、玄関のドアに挟んであったんだけど……ただのいたずらにしては気になるわよね。もっとも、あなた達が行く先々でそう名乗ったっていうのなら話は別だけど」
封筒には宛名だけで、住所などは書かれておらず消印もない。
つまり、マグナとトリスの素性を知る者が直接この屋敷の玄関先に置いていった、ということになる。
手紙を置いていくだけならまだしも、クレスメントの名を知る人物となるとまるで見当も付かない。
「…………」
迷った末、マグナは手紙の封を切った。
指を入れて、中身…封筒より一回り小さいカードを取り出す。
その内容に目を通すなり、彼らは顔を見合わせた。
「どういう意味よ、これ……?」
「さあ、な」
それぞれの表情は硬い。
そのカードの中央あたり。
『危険が迫っている。から目を離すな』
宛名と同じ字で、それだけが記されていた。
さらに色々怪しげな方向へ。
マグナ、あれからまだ気にしていた模様。自分達と重ねている部分もあるでしょうが。
そして謎の警告……ってバレバレですな(苦笑)
当事者不在のまま、厄介事はまだまだ続きます。
2004.7.31