第93話
第93話 彼の選択


 応接室には、現在この屋敷にいる者全員が集まっていた。
 本来ここはかなり広い造りになっているのだが、さすがに大人数が集まると狭く感じる。

 「君達に頼まれていた遺跡の古文書の解読はなんとか終わったよ。これが、原文を直訳した写しだ」
 ギブソンが言いながらテーブルの上に数枚の紙を置く。
 ぱっと見ただけでも数ヶ所にクレスメントの名と痛烈な単語が見て取れる。内容はもはや言うまでもなく、当時の調律者の所業をこれでもかというくらい断罪していた。
 一枚を手に取ったトリスなどはすでに辛くて泣きそうな顔になってしまっている。

 「かなりきつい非難がこもった文章だから、見ててつらいとは思うけど……肝心なのはそのことよりも、ここの部分よ」
 ミモザがすっ、とうち一枚の一ヶ所を示す。
 そこには『メルギトス』とあった。
 見た瞬間、ほぼ全員が首をひねった。
 例外はやっぱりというような表情のバルレルと、怯えているハサハだが……その様子には誰一人気づいていなかった。

 「なにかの名前みたいね、これって?」
 代表するように、ルウが一言。
 前後の文脈からして、それは間違いない。
 問題は、それが何を指すかなのだが。

 「なんだろう……? どこかで聞いたような気がします……」
 アメルだけは、違う意味で首をひねっていたらしい。もっとも、思い出すまでには至っていないようだが。
 ギブソンが、小さくうなずく。
 「すぐ隣にアルミネの名前があることから、私はこれは人間の名前ではないと思う。アルミネと同じ天使の名前か、あるいは……」
 「アルミネと一騎打ちをしたという、大悪魔の名前かもしれない」
 ネスティがギブソンに補足するように告げる。
 「あ……!」とアメルが声を漏らした。

 「おぼえているのか、ネス?」
 マグナの問いかけに、しかしネスティは渋い表情を浮かべた。
 「いや、記憶にもとづく発言じゃない。ただの当てずっぽうだよ。ただ、その名には僕もアメルと同じく妙な引っかかりを感じるんだ……」
 「そうなんだ……」

 どこか納得のいかないような様子のトリスだったが、突然あっと声を上げた。
 「エステルはわからない? 誰かから聞いたと……」
 質問は最後まで続かなかった。
 仇でも見るような鋭い視線を、エステルがその解読文に注いでいた。普段の彼女からは、まるで想像できない姿。
 「え? どうしたの、トリスさん?」
 次の瞬間、エステルはきょとんとしてトリスを振り返った。さっきまでの雰囲気は微塵もない。

 「……あ、その……エステルならメルギトスって、聞いた覚えないかなあって……思ったんだけど……」
 「……ごめんなさい。聞いたこと、ないわ」
 一拍置いて、エステルが答える。
 「そ、そう……」
 やはり腑に落ちなかったが、なんとなくそれ以上訊きにくい。
 すごすごと、トリスは引き下がるしかなかった。

 どこか気まずい空気を破ったのは、ギブソンの「わかった」という一言だった。
 「メルギトスの名が悪魔のものかは、改めて調べておこう」
 「例の三人の召喚師についてもね?」
 「本当にすいません。先輩達も任務があるのに、よけいな手間をかけさせて……」
 マグナがすまなさそうに頭を下げる。
 それに対して、ミモザは小さく笑った。
 「ああ、いいのよ。そっちはそろそろケリがつきそうだし」
 「本当ですか!?」
 声を上げたトリスのみならず、一同全員が身を乗り出した。

 「共同調査ガ功ヲ奏シテ問題ノ人物ノ居場所ガ判明シタノダ」
 「僕とギブソンさんが文献調査を担当してね。ミモザお姉さんとエスガルドが、情報を集めてきてくれたんだ」
 「俺達も手伝ったしな」
 エスガルドの説明を、エルジンとハヤトが補足するような形となる。
 ミモザが自慢げに胸を張った。
 「互いの長所を生かした連携の勝利ってトコね」
 「なるほど……」
 相槌を打つのはカイナ。
 「近いうちに、調査に向かうつもりだったというわけさ」
 だから気にしなくていい、とギブソンが締めくくった。







 とはいえ。
 「なんか、間の悪い時に来ちゃったかもしれないわね」
 「そうですね……」
 気にするなと言われてそうする方が無理なわけで。
 特に、世話になりまくった後輩達と聖女は。

 「こちらの件は後回しでいいとは言ったが、ギブソン先輩の性格を考えれば逆に僕達の頼みを優先するに決まってる……」
 厚意は嬉しい。だが、結果的に本来の任務を停滞させてしまったようなものだ。
 まして、前々から面倒をかけてしまっている。しかも任務の真っ最中に。
 「ねえ、ネス。同じ派閥の任務なのよ、あたし達も手伝えないかしら?」
 「僕も同じことを考えていたよ。どれほど役に立てるかわからないが、今までお世話になったことを考えれば、それぐらいの協力はするべきだろう」
 トリスの提案に、ネスティは軽くうなずく。

 「それじゃ、あたしもお手伝いします!」
 はいっ、と掛け声がつきそうな感じで手を上げるアメル。
 そんな彼女に、トリスが困ったような視線を向けた。
 「あのね、アメル。気持ちはすごくうれしいんだけど」
 「先輩達の任務はいわば、派閥の失態を処理するものなんだ。あまり部外者が関わることは、かえって二人の立場を悪くすることになってしまう」
 「だから、今回はあたしとマグナ、それにネスだけで行こうと思うの。他のみんなにも遠慮をしてもらうわ」
 「むー……」
 ネスティだけでなく、いつもは味方になってくれるトリスにまで反対されてしまいアメルが膨れる。

 「あー、それなんだけどさ……」
 それまで珍しく沈黙していたマグナが、歯切れの悪い口調で割り込んだ。
 トリスとネスティを交互に見、
 「俺、行かなくて……いいかな?」
 「え?」
 思わぬ申し出に、トリスとネスティは顔を見合わせた。
 アメルもマグナらしからぬ行動に目を見開いている。

 マグナはため息ひとつつくと、一枚のカードを取り出した。
 ミモザに渡された警告文らしきもの。
 「これ、どうしても気になるんだ……危険が迫っている、から目を離すなって。ただのいたずらならいいんだけど、もしそうじゃないならって思うと……」
 ただでさえ当の本人が目を覚まさない上、狙われていることをほのめかす内容だ。
 不安材料が多すぎる。

 「……わかった」
 ネスティは仕方ない、とばかりにため息をついた。
 「君がそんな状態じゃ、かえって先輩の足を引っ張りかねん。好きにしろ。その代わり、言ったからには責任を持つんだぞ」
 「うん。ありがとう、ネス」
 前半はひどい言われようだったが、マグナは笑顔でうなずいた。
 これが彼なりの優しさだと、長い付き合いでわかっていたから。
 「それならこっちは頼んだわよ、マグナ」
 「うん、トリスとネスも気をつけてな」

 「…………」
 そんな三人をよそに、アメルはなにやら考えていたが……幸か不幸か彼らは気づくことはなかった。




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短いですが、きりがいいのでここまで。
マグナ、不参加が決定しました。
はてさて、調査当日はどうなることやら。

2004.10.11