第94話
第94話 出かけよ、少年少女達


 「…………」
 テラスの手すりに寄りかかりながら、エステルはため息をついた。
 晴れ渡っている空とは反対に、心はどんよりと曇っている。

 「どうすれば、いいのかな……」
 が目を覚まさない。心が、見えない。
 今までは何かしらの反応があったのに、ここ数日は表にすら出てこない。
 そのため結果的にエステルが表に出て、の体を動かしている。
 しかし。

 (みんな、のこと心配しているのに……)
 一日経つたびに、周りの不安は色濃くなっていく。
 こういう時こそ自分が何とかしないといけないのに、を起こすことも、皆を元気づけることもできないまま。

 結局、自分はまた友人達を苦しめている――!





 「あー、エステルちょうどいいところに! 手伝ってほしいんだけど!!」
 出入り口の方から明るい声が飛んできた。
 「え、どうし……」
 振り向いて。
 尋ねる声は途中で消えた。

 そこにいたのはルウとギブソン。それはいい。
 問題は、二人が持っていたものとその量だ。

 「どうしたの? 固まって」
 「よかったら君も食べるかい? たくさんあるから遠慮はいらないよ」
 穏やかに微笑みながら、ギブソンがテーブルにケーキを置く。
 ……ただし、一抱えもある箱の中に所狭しと並んだものを。
 ルウの腕にも、同様の大箱入りケーキが抱え込まれている。

 「あの……こんなにあって大丈夫なんですか?」
 どう見ても、この屋敷にいる人数分以上ある。
 まして甘いものがだめな人を差し引いて計算すると、一人分の量は馬鹿にならない。

 「大丈夫っ! ルウが責任もって全部食べるからっ♪」
 満面の笑みを浮かべながら、ルウがいそいそと箱からケーキを取り出していく。
 ギブソンにしても全部食べる気満々らしく、鼻歌交じりで茶を入れ始める。

 「……それで、私は何を手伝えばいいんですか?」
 なんとなく止めても無駄なことを悟ったエステルが尋ねたところ、
 「あ、そうそう。玄関にもう一箱あるの、持って来てくれない?」
 楽しげなルウの声で、なんとも気の遠くなる答えが返ってきた。

 (……この人達に関しては、心配することなかったかな……?)
 エステルがそんなことを思っても、無理はないだろう。多分。







 「……で、そのテーブル狭しと並んでいるケーキの数々は、いったいなんなんですか!?」
 ギブソンが茶を入れ終わった頃、テラスにやってきたトリスは、やはり開口一番そう言った。
 一緒に来たマグナは、その後ろで呆然と口を開けている。

 「彼女の好物もケーキと聞いたんでね。パッフェルさんに頼んで、お店のケーキ全種類を取り寄せてみたんだよ」
 にこにこと、ルウを示しながらギブソン。
 「みたんだよ、って……」
 「どう見たって、三人で食べきれる量じゃないと思うんですけど」
 「……実は私もそう思います……」
 順にマグナ、トリス、エステル。
 ちなみにエステルは、うやむやのうちに席についていたりする。無理して食べなくてもいい、ということでとりあえず納得したのだが。

 「そうかな?」
 「心配ないわよっ♪」
 対するギブソンとルウは、幸せそうな笑みを浮かべたままで答える。
 細かい違いをあげれば……ギブソンは「これくらいは普通だよ」というような口調で、ルウはかなり張り切っている、といったところだ。

 「前から一度、こういう無茶をしてみたいと思っていたんだが……彼女のおかげで夢がかなったよ」
 「そ、そうですか?」
 「わははは、はは……」
 首をひねるマグナ。その隣では、トリスが乾いた笑いをあげている。
 先輩の夢とやらは、後輩には理解不能らしい。

 「う〜ん、シアワセ♪」
 ルウが嬉しそうにケーキを食べている。
 エステルはしばらくそれをじっと見ていたが……やがて、目の前の苺のタルトにフォークを入れた。
 先の部分を切り分けて、口に運ぶ。

 「どうだい?」
 ギブソンの問いに、エステルは笑みを浮かべてうなずいた。
 「おいしいです。……ケーキってこういう味だったんですね……」
 トリスが「え?」と声を漏らした。
 「エステルって、ケーキは初めて?」
 「私、病人だったからお菓子ってあまり食べたことなくて……他にも理由はあったんですけど」

 「ああ、そういえばそうだっけ」
 「その上あの森に住んでいたんじゃねえ……」
 「そうね。ルウも、ファナンに行くまでほとんどのお菓子を本でしか知らなかったし……」
 全員が、なんともいえない表情になる。
 「あ、そんな顔しないでくださいよ。私が元気だったとしても、多分お菓子を食べる余裕なんてなかったと思いますから。みんなそれどころじゃなかったし」
 気まずい空気を察したか、エステルが笑いながら言った。

 彼女だけが、知らされていなかった戦争。
 父や兄が何をしていたのかも知らず、比較的安全な屋敷内と近くの森だけが「世界」だった。
 忙しい家族や屋敷の人間。だから、遊び相手も歳の近かった使用人の息子と、森にいた召喚獣達に限られた。
 それ以上の幸せなんて、知らなかった。

 「エステル……」
 沈んだ表情を浮かべていたトリスだったが、やがて意を決したように顔を上げた。
 がしっ、とエステルの腕を掴む。
 「遊びに行こうっ!!」
 「え?」
 突然の申し出に唖然と口を開くエステル。

 慌てたのはマグナだ。
 「おい、トリス!? いきなり何を言い出すんだよ!?」
 「何って、そのまんまよ。エステルを遊びに連れて行くの」
 「ちょっと待てよ、今うかつに出かけるのは……」
 「目を離さなきゃいいんでしょう? だったらマグナも一緒に行けばいいじゃない」
 う、とマグナから呻き声が漏れる。

 「人数も多い方が楽しいし、効率もいいわよね。そしたらアメルとかも誘って……」
 さらにマグナが呻いた。その体も硬直している。
 助けを求めてギブソン達に視線をやるが、ギブソンは笑みを浮かべるだけで反対するそぶりはない。
 エステルは困ったように視線をマグナとトリスの間にさまよわせているし、ケーキに意識が半分以上行っているルウは問題外だ。

 そして、とどめの一言がトリスの口から発せられた。
 「エステルだって、めったに街に行けなかったのよ? たまには散歩くらいさせたっていいんじゃない?」
 「う……」
 がっくりと、マグナは肩を落とした。
 ここまで頑固だと、自分やネスティをもってしても説得は不可能。

 「そうだな、それに君も息抜きが必要だ。気分転換しておいで、マグナ」
 一番頼れるはずの先輩も、今回はトリスの援護に回ってしまっている。
 もはや、ギブソンに反論する気力もない。
 「はぁい……」
 マグナはうなずくしかなかった。







 「ねえねえ、これは? なに?」
 「ああ、これはですね……」
 子どものようにはしゃぎながらエステルが問えば、アメルが微笑んで答える。
 ぱっと見、仲のいい姉妹のようだ。

 トリスは時々それに参加していたが、マグナはどうしても楽しむ気になれなかった。
 心配事がありすぎて、頭から離れてくれない。
 未だ目覚めない。誰からかもわからない、危険を告げる手紙。
 どうすればいい? その答えは、どちらも出ていない。

 「マグナさん? マグナさんってば!!」
 「……うわっ!?」
 気がつくとエステルが顔を近づけてきたので、思わずマグナは飛びのいてしまった。
 中身は別人であっても、顔は思いを寄せている人なのだから驚きもひとしおだ。

 「どうしたんですか? ぼーっとして」
 「あ、いや別に……」
 マグナは言葉を濁す。
 警告文のことは、マグナ達とネスティ、アメルと先輩二人のごく一部しか知らない。当然のことながら、エステルにも知らされていなかった。下手に不安材料を持たせない方がいいだろうとの判断からだ。
 だからこそ、何を悩んでいたかなんて……言えない。

 「ちょっと飲み物でも買って休憩しましょう? あっちにおいしいジュース屋さんがあるの」
 トリスがさりげなく割り込む。
 それからエステルに笑顔を向けた。
 「エステルも一緒に行きましょう? おすすめ、教えてあげる」
 「あ、はい!」
 「それじゃ、マグナとアメルは適当に休んでてよ」
 それだけ言うと、トリスはエステルの手を引いて歩き出した。
 後にはマグナとアメルだけが残される。

 「大丈夫ですか?」
 「あ、うん」
 アメルの問いにうなずく。
 アメルは少し考えた後、
 「……のこと、考えてました?」
 「……うん」

 はあ、とマグナはため息をついた。
 「前の時は俺もそれどころじゃなかったから、そんなに気にならなかったんだけど……が起きなくて、もう何日も話していなくて。なんかこう……胸に穴が開いたような気分でさ」
 アメルは黙って聞いている。
 「いつの間にか俺、がいるのが当たり前になってたんだな……。だから、あの手紙見た時不安になった。が狙われているのを忘れていたわけじゃないけど、でも……」
 マグナはそこで口をつぐんだ。
 しばらく黙り込んだ後、「ごめん、俺バカだからうまく言えない」と苦笑を浮かべた。
 「でも、これだけはわかる。俺は……がいなくなるのは、怖い」
 「マグナ……」

 アメルはマグナをじっと見つめた。
 ややあって、アメルの顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
 「一人で背負わないでください。みんなだって同じ気持ちです。だから一緒に行動してる。違いますか?」
 「アメル……」
 「マグナなりに色々考えているのはわかります。でも……あたしはマグナの方が心配です。不安に押しつぶされちゃいそうに見えますから。マグナがそんな風だと、が起きた時に怒られちゃいますよ? 何やってるの、とか言って」
 『何やってるの』のところでアメルが、拳で殴るまねをする。
 確かにならやりそうだと思い、マグナは再び苦笑した。

 「トリスもネスティさんも、それにあたし達だっています。だから……」
 「お待たせー!!」
 アメルの言葉を遮って、トリスの声が飛んできた。
 こちらに向かってくるトリスとエステルの両手には、紙コップがある。

 さすがにもう話は続けられないが、マグナにはアメルが言いたいことはわかった。
 事実、彼女の言う通りなのだろう。
 「……ありがとう、アメル」
 マグナが礼を言うと、アメルは「どういたしまして」と笑った。

 「はい、アメル。味、適当に選んじゃったけどよかったわよね?」
 言いながら、トリスがアメルに紙コップを差し出す。
 はい、とアメルはそれを受け取った。
 「どうぞ、マグナさん」
 エステルも、マグナに紙コップを差し出した。
 「うん、ありがとう」

 申し合わせたわけではないが、全員ほぼ同時にジュースを一口飲んだ。
 「……おいしい」
 「でしょ? あそこ、色々な果物を混ぜているのよ」
 「トリスのは、あたしの分とは違うんですね」
 「飲んでみる? 新作なんだって」
 「はい!」
 ジュースの味で盛り上がるトリスとアメル。
 そんな二人を、エステルはぼんやりと眺めていた。

 「……どうしたんだい?」
 マグナが問うと、エステルは「あ、その」と一瞬口ごもった。
 「……なんか、いいなって思って。私、こうやって何人かで外に遊びに出かけるって初めてだから。楽しいし、嬉しくて」
 こんな時に不謹慎かもしれませんけど、とエステルは苦笑いを浮かべた。
 それはこの大変な時に、という意味だろうか。それともに悪いということか。あるいはその両方か。

 しまったと、マグナは今更ながらに気づいた。
 のことで一番不安なのはエステルだろうに。
 同じ体を共有する。それがどういうことなのかはよくわからない。
 しかし、の状態を誰よりもわかっているのは他ならぬ彼女だ。少なくとも、外からしか判断できないマグナ達よりは。

 「あー、またそんな顔して」
 む、と顔を膨らますエステル。
 なんとなくトリスに似てるなと思ってから、当然かとマグナは気づいた。考えてみれば、彼女は遠い血縁なのだし。

 「そんな顔していたら、幸せが逃げますよ? はい、これでも飲んで元気出してください」
 す、と出される紙コップ。
 「うん」
 何の疑問もなく一口飲んでから、マグナは首をひねった。
 さっき飲んでいたジュースと、味が違う。
 というか……自分の分のジュースはさっきから手に持って……
 ……エステルが、差し出したコップ?

 数秒の思考停止。
 そして。
 エステルがコップを引っ込めて自分の口へと運んだ瞬間、マグナの思考回路は急回転した。

 つまり。
 エステルのコップの中身を飲んだ → 間接キス。
 しかもその体は、のものなわけで。

 (えぇぇぇぇぇぇっ!?)
 かーっ、と全身が熱くなるのがわかった。
 マグナの脳内にはぐるぐると、「間接キス」の単語だけが回っている。

 「あの、マグナさん? どうしたんですか、今度は真っ赤になって固まっちゃって」
 マグナの変化の理由がわからず、エステルが戸惑いがちに問いかける。
 が、当然マグナに気づく余裕などない。

 「……エステルって、もしかして以上に鈍い?」
 「仕方ないですよ……恋愛のレの字もわからない環境で育ったみたいですから。あの様子だと、自分が何したかもわかってないでしょうね……」
 これはこれで、マグナには悲劇かもしれない。
 トリスとアメルは、そろってため息をひとつついた。




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というわけで(何)、お出かけです。
いい機会なので、ちょい役気味の彼女もクローズアップ。
……はい、ものすごい世間知らずです。「間接キス」という単語すら知りません。
……がんばれマグナ。

2004.12.4