第96話
第96話 影と警鐘


 暗闇だけがあった。
 何も見えない。己の存在すら確かめられない。

 「……はぁ」
 その中で、声が響く。
 呆れたような、女の声だった。

 「なんかもう、泣けてくるわね」
 疲労感すらにじませて、声が言う。
 そして、再びため息ひとつ。

 「あんたも本当はわかってるんだろうから、ごちゃごちゃ言わないよ。説教は性に合わないし。でもね」
 しばしの間、声が沈黙する。

 「あんた、いつまでそうしているつもり?」
 口調ががらりと変わった。
 静かだが、どこか鋭さを感じさせるそれへと。

 「そりゃね、気持ちはわかるわよ。けど、何の解決にもならない。それどころか……」
 そこで、また言葉が止まる。
 だが、今度は間が長めだった。

 「まいったわね。もうちょっと時間が欲しかったけど」
 ややあって、声が仕方なさそうに一人ごちる。

 「最後に、これだけは言っておく」
 声が、遠ざかっていく。

 「もう時間がほとんど残されていない。私も――――」
 それを最後に。

 そこには、闇と静寂だけが残された。







 「おはようございます、マグナさん」
 「ん? ……ああ、おはよう」
 エステルの挨拶に反応して、マグナがぼんやりと振り向いた。

 「今日は早いんですね」
 「あ、うん。早く目が覚めちゃって」
 本当は別の理由があるのだが、言えない。――――目の前の彼女には。

 珍しいですね、とエステルは小さく微笑む。
 ……こういう姿を見るたび、彼女はとは別人なのだと思い知らされる。
 こんな時、なら「うわ、マグナにしちゃ珍しい。どうしたの?」などと大げさに驚くだろうに。

 「……マグナさん?」
 「え、あ、ごめん。何?」
 心配そうにのぞきこむエステルに、慌ててマグナはいつもの顔を作った。

 いけない。今こそ自分がしっかりしないと。
 トリスもネスティも、先輩達だって今朝から出かけている。
 調査の手伝いを蹴ってまで、彼女を守るって宣言した。
 だから――――せめて、彼らが帰ってくるまでは。

 「どうかしたんですか?」
 「いや、なんでもないよ。それより、そろそろ食事の時間じゃないか?」
 やや強引な話題転換に、エステルは首を傾げた。
 「え? でも、台所に誰もいないんですけど……」
 「へ?」

 マグナの時が止まった。

 レシィがいないのは、わかる。主であるトリスと共に出かけたはずだから。
 だがしかし。
 「……アメルも?」
 「はい」

 アメルがエルジンに頼み込んで、トリス達についていってしまったことを、その時のマグナは知るよしもなかった。







 「なんだか、見るからに不気味な館ですね」
 目の前にそびえ立つ館に対して、アメルがぽつりとつぶやいた。

 ミモザの先導によってたどり着いた館。
 手入れされていれば見栄えはかなりのものだろうが、すすけた壁にはツタがびっしり這い、屋根材も所々はがれ落ちている。窓も暗くて、中の様子はわからない。
 月並みだが、幽霊屋敷と表現してもしっくりいくような雰囲気だ。
 「元々は、貴族が別荘として使っていた建物らしいんだけど。放置されてから、もう随分と経っているって話よ」
 ミモザが解説を加える。

 「本当にこんな所に、人が住んでるのかな?」
 「そう思うからこそさ。隠れ家にするにはうってつけなんだよ」
 不審げにつぶやいたトリスに、エルジンが答えた。
 「この辺りで、例の召喚師を見たという情報もある。関係があったっておかしくはない」
 さらにトウヤが付け加える。
 ちなみに彼ら八人は、協力者という名目で同行している。

 ふむ、とネスティは小さくうなずいた。
 「いずれにせよ、用心はしておいた方がいい」
 「ドウヤッテ調査スル、ぎぶそん殿?」
 「あまり大人数で中に入るのはさけたいな」
 エスガルドの問いに、ギブソンは短く答えて、一拍ほど黙り込んだ。
 「私とネスティ、トリスの三人で入ってみようと思う。君達は建物の周囲を調べてみてくれ」
 「うん、了解っ!」
 エルジンが元気よく返事をした。
 ミモザやハヤト達も、まかせてとばかりにうなずく。

 「どこから調べましょうか?」
 「んー、そうねぇ……」
 入口へと歩いていくギブソン達を見送りながら、アメルとミモザは話し始める。
 他の面々も手近なところから調べようとして――――

 「……エスガルド?」
 ただ一人、エスガルドだけが一歩も動かなかった。
 それに気づいたエルジンが、不思議そうに問いかける。
 「何かあったのか?」
 ハヤトも調べるのを中断して、エスガルドの所に駆け寄った。

 「……後方二生体反応ガアル。何者カニ尾行サレテイルヨウダ」
 「えっ!?」
 思わず、ハヤトが大声を出す。
 ミモザ達がそれに手を止めて、ぎょっとした顔で彼らに視線を移した。
 「……お兄さん」
 エルジンが口元に人さし指をやると、ハヤトはばつが悪そうにうつむく。

 「どういうこと?」
 「ぜらむヲ出テ一分三十四秒後ヨリ、生命反応ガ一定ノ距離ヲ置イテツイテキテイル」
 「数は?」
 「一人ダケダ」
 冷静に確認するエルジンに、エスガルドは淡々と答える。

 「……黒の旅団の人でしょうか?」
 「さあね」
 不安げなアメルに、ミモザがあっさりと返した。
 「念のため、アメルちゃんは一人にならないほうがいいわ。私から離れないこと。いいわね?」
 「はい」

 そうだな、とトウヤもつぶやく。
 「僕達も組になって行動しよう。調査する人と、周りを警戒する見張り役に別れた方がいいかもしれない」
 「そうだね。エスガルドは調査に回って。スキャンを使えば早いから」
 「了解シタ」
 エルジンの指示に、エスガルドが即座に返答した。

 「……私達も、始めましょう」
 「ああ」
 「そうですね」
 うなずきつつも、ハヤト達の表情は硬い。
 空は不安をかき立てるかのように、どんよりと曇りはじめていた。







 その頃、ギブソン・ミモザ邸に残った人々は。

 「おなかすいた……」
 「あれだけじゃ足りないよぉ……」
 「仕方ねぇだろ、あれだけしか見つからなかったんだから……」

 結局ありあわせのパンと、見つけた食材で適当に作ったスープだけで朝食を済ませたものの、満足できずに空腹にあえいでいた。




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本題に戻りましたが、あまり進まず(汗)
アメルは……エルジン達以外には当日まで内緒みたいでしたから。
こっそり朝食だけ準備なんてできなかったということで(苦笑)
買物して、入れた人間じゃないと物の場所はわかりません。台所は特に。
次回、留守番組メインで進みます。

2005.10.7